......と、クラスの持ち回り当番をちーともやらない子供たちに対し、先生が講じた一案。上手くいったけど後でPTAで問題になって、その時先生は......というオチは原文を参照してほしい。
これで思い出したのが、上の動画ではイベントとして再現されている、「トム・ソーヤの冒険」の「ペンキ塗りのエピソード」。確かタイトルは「光栄あるペンキ塗り」だったかも。
主人公のトムがお手伝いとして、塀に白いペンキを塗らされる仕事を押しつけられる。遊び盛りのトムもその友達も、もちろんそんなことはしたくない。で、トムがペンキを塗っているところをからかいに来た友達は腰を抜かすことになる。つまらないはずのペンキ塗りの仕事を、トムが鼻歌交じり、口笛を吹きながら実に楽しそうにやっているではないか。
「あれ、つまらないはずだよな、ペンキ塗りって......」と自分を疑う友達たち。しかしトムは相変わらず、まるで最高の遊びを楽しんでいるかのようにペンキを塗っていく。いてもたってもいられなくなった友達は、トムに「自分もやらせて」と頼むが、「こんな楽しいことを誰にやらせるか」と聞き入れない。友達たちは自分達の色々な宝物を差し出し、トムはしぶしぶとペンキ塗りの仕事を友達にバトンタッチ。
その後トムは、友達からもらった宝物をにやにやと見つめながら、友達たちが楽しそうにペンキを塗る様子を眺めることになる。「あんな疲れる仕事、楽しいのかな」。
要は物事の理(ことわり)をしっかりと理解していない、この場合なら「クラス皆で係を分担して色々なことをやっていかないと、クラス全体が荒れてしまって、結局みんながイヤな想いをすることになる」という、間接的な「利」の仕組みが十分に理解できない子供にとっては、「それが自分自身にとってプラスとなる、楽しいものである」と「直接的な」「利」を提示することが効果的なものとなる。あるいは「そう思わせる」だけでよい。
参照記事の場合は「占い」と「その結果」、トムのペンキ塗りの場合は「トムが楽しそうにやっていること」自身と「他人から楽しい事柄を奪って自分のものにしたという満足感」。本当に楽しいかどうかは別の話であるし、多分に気持ちの問題だから、演出次第でどうにでもなる。「利」は物理的なものに限る必要はない。本人が満足すれば、それが十分な報酬となる。
身に覚えがある人もいるだろう。学校の教室掃除で先生に褒められたくて、あるいはクラスの注目を集めたくて、疲れるし時間はかかるし何も物的な報酬が得られない、ゴミ捨てや窓ふきを我も我もとやりたくなることが。あるいは給食当番、学級委員、何でもいい。
つまりは、そういうことだ。
まぁ、「ルソンの壺」も似たような話だよね。これについてはまた機会があれば。
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