埋蔵金探しに躍起になる方々を指して「生み出すことを放棄して埋蔵金を当てにする馬鹿ども」との表現を見かける。なるほど......。埋蔵金報道でどうももやもやしていたところがあったが納得。何も創造してないんだな、一連の埋蔵金探しは。
......というのを今朝がたつぶやいた。まあ公共工事の考え方に「何もないところに穴を掘って埋めることを繰り返し、仕事を創生する」というのもあるけど、一連の仕分け作業ってのはそれすら無いからなあ。何かひっかかるところがあったんだけど、「創造」というキーワードでリンケージされて、なるほどと思った次第。
まぁ例えるなら、俗に言う山師みたいなもんだよね。しかも本来の鉱山技師としての「山師」じゃなくて、詐欺師的なもの。試算はあってないようなものだったし、投機というレベルですらなかった。「あの山なら埋蔵金沢山ありますよー、だからこっちのコースを行きましょうね」と宣伝会社使って誘導し、みんなを引き連れたのはいいけど、案の定その山には埋蔵金は無かったと。でも宣伝会社は「掘れば必ずあるはずです」とか「あの保安小屋を解体すればお金になります」とか言い出す始末。揚げ句に山師自身が山の知識をほとんど知らず、さる方の言葉を借りれば「強盗山賊の類と大差ない」という感じかしらね。
北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「待ちぼうけ」を思い出しちゃったな。気もしないウサギを「来るよ来るよ」と煽られてひたすら待つより、もっと「創る」ことを考えようよ。ありもしない遺産を当てにしてる放蕩息子と何ら変わらないよ。
コメントする