弁護士や弁理士の方々を「先生」と呼べなくなりそう

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【政府答弁書、外国人参政権への見解変更 傍論部分を「最大限尊重」】

政府は29日の閣議で、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与について、憲法上禁止されているものではないとした平成7年の最高裁判決の「傍論」部分を「最大限尊重しなければならない」とする答弁書を決定した。自民党の上野通子参院議員の質問主意書に答えた。

だが、この傍論盛り込みを主導した園部逸夫元最高裁判事は後に「(傍論を)重視するのは法の世界から離れた俗論」(「自治体法務研究」)と指摘。今年2月の産経新聞のインタビューには、「本筋の意見ではない。付けなくてもよかった」と語っている。


「先生」って言葉は「先に生まれた者」ということで、自分より年上の人を指し、同時に「自分より経験を積んだ尊い人、学ぶべき相手」という意味合いも持った、敬愛すべき相手への敬称。弁護士や弁理士などの有資格者は難しい試験をパスしてその資格を取得したわけで、その点では「先生」と呼ぶにふさわしいかもしれない。

でもそれが同時に、人格者として、資格を取得した方面ですら正しい解釈をする人物であるかどうかは別の問題。以前現状を説明した際に公然の場で(まぁ、ネット上でなんだけど)「彼は弁理士資格を持ってるから大丈夫でしょう?」「弁護士さんなんだから変な判断するはずないだろ」と反論され、なじられた経験がある。でも上のような話が新しい情報として毎日入ってくるような状況を見る限り、とてもそうとは思えない。

それどころか、弁護士や弁理士の人たち全体のイメージが失墜してしまって、「先生」という敬称をつけること自体に抵抗感を覚えてしまいそう。同じ思いを持つ人は少なくないだろうし、その観点ではむしろ他の弁護士・弁理士の方々も怒り心頭ではないかと考えている。

そういう観点だけでも、彼ら・彼女らは罪深いと思うのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2010年10月30日 07:45に書いた記事です。

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