ごく当たり前の話なのに、それを軽んずる姿勢が、社会的立場の高い人の言動に垣間見えることがある。
裁判員と同じく一般の市民がかかわる検察審査会制度について、小沢一郎氏が『素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか』と述べたのは記憶に新しい。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は新聞のコラムで『"市民目線"と持ち上げられてはいるが、しょせん素人の集団』と書いた」
私は市民の力を信じてはいない。
市民、世論、民衆、大衆--こうした存在こそ、実は一番恐ろしいと思っています。日本という国は"世論"という名の下に、一方向にぶれやすい"文化"を抱え込んでいます。その最たるものが、「一億総火の玉」で突き進んだ日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスです。
検察審査会といえども「市民の力」という言葉だけで信じるわけにはいかないのです。正しい市民もいれば、間違いを犯す市民もいる。それをチェックするのが私たちメディアの仕事なのですから。
ある意味、現在の日本におけるマスコミ・報道の問題点をあからさまにしているという点では、まさに氏は「日本を代表するジャーナリスト」と評するべきかな、と思うのだな。市民の力を信じていないっていってるけど、それを扇動(先導じゃないよ)していること、ミスリードしていること、「お前がいうな」的な事を平気でやっていることに自覚を持っていない、理解していないことが分かるよね。まぁ、某漫画の少佐のセリフになぞらえれば「君らの正しさは一体どこの誰が保障してくれるのだね」という感じかな。
それと。元記事の主張だけど、「市民」と「メディア」を入れ替えて読んでみると面白いよ。一度やってみることをお勧めします。
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