【更新】日本での食用油の利用はずいぶんと前からの話。でもね......

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[料理の知恵袋 天ぷらの歴史]


●天ぷらの前史 (揚げ物料理は、中国・西洋から上陸し発達)
揚げ物の歴史はふるく、過去大きく3回の機会を経て、日本に定着した。
最初は奈良・平安の頃の唐から伝わった唐菓子で、米の粉などを練って油で揚げたもの。
2度目は、鎌倉期に上陸した精進料理で、植物性の食材を衣揚げしたもの。
3度目は、16~17世紀長崎に来ていた中国人、西洋人を通して長崎天ぷらなど西洋のフリッターに近い揚げ物が登場した。
 
●ごま揚げ (江戸前期)
江戸では魚河岸が作られ、その脇で安く仕入れた魚介を衣揚げにする立ち食いの店が出始める。ただしこの頃は天ぷらではなく、江戸ではごま油で揚げるのが普通で、ごま揚げと呼ばれていた。関西では菜種油が全盛であっさりした揚げ物であった。
 
●天ぷらの屋台 (江戸中期)
天ぷら屋台がふえ始め、それらの店では当初天ぷらを串に刺して揚げた物が皿にのせられており、その脇に天つゆの入った大きな丼と大根おろしを盛った器があった。お客は立ったまま好みの串を選んでそのまま丼のつゆにつけ、大根おろしで食べた。後には串に刺していないスタイルで箸で食べるようになった。
 
●お座敷、贅沢素材 (江戸後期)
庶民の食べ物であった天ぷらに当時、贅沢品であった卵を使って黄金色に揚げた金ぷらが登場する。また金ぷらに対し卵の白身だけをつかった銀ぷらも考案された。こうした天ぷらは屋台ではなく、お座敷で食べられたようだ。


早朝、食用油に関する調査データを色々とチェックしていて、「そういや食用油って、日本ではいつごろから使われだしたんだっけか」と頭にハテナマーク。んで、調べてみたところ、揚げもののツールとしての利用は奈良・平安時代からということらしい。唐菓子を作る際の調味料だったんだな。考えてみれば、精進料理で美味しい食感をプラスするため、油を使うというのは良くある話だね。

もっとも上の抽出部分を読んでも分かるように、日本ではあまり食用油を頻繁に使うことはなかったみたい。むしろ明治時代になって西洋料理が入ってから、本格的に使われたってことかな。

味わいを良くするには欠かせないけど、ほどほどに、というところかしら。

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このページは、不破雷蔵が2010年11月 7日 08:37に書いた記事です。

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