先日の【新聞のソース性、需要と供給】に対する感想で、ちょっと心に残った言い回しなんで、覚書も兼ねて。よく思い直してみれば確かにその通りで、例えば天ぷらの吸い取り紙や濡れた靴の湿気取りなど、新聞「紙」としての使い道をのぞけば、新聞が新聞「紙」である必要はさほどないんだよね。あくまでも「紙」は媒体の一つに過ぎない。現行では他に色々なツール・媒体がある。今はまだ、ビジネスモデルが試行錯誤の状態にあるだけ。
これってパソコン使ったDTPが浸透しはじめた時の疑問と同じで、「わざわざデジタル化して、パソコン上で編集とかデザインするのなら、そのデータをそのままネット上にあげちゃえばいいじゃん」ってことになるわけで。あとはどうやって「対価を得るか」なんだよね。その観点から見直すと、欧米の新聞社は一歩も二歩も先に進んでるといえるかもなぁ、と。
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