[牛丼屋で接客の達人のおばちゃんに会った]
接客についてよくいわれるが、客の要望に応えようとがんばってるうちは、おそらく半人前だ。なぜなら、根本的に、客の要望には際限がない。ほかの国じゃどうか知らんけど、日本人の多くには「金払ってるほうが偉い」という考えがある。偉いんだから、どこまでも要求はエスカレートする。
なので、達人は「客の要望を、自分が規定してやる」。よくいう「客を見下す」というやつだ。根本的には客の要望には際限がないのだが、現実的には「このライン」っていうのがある。そのラインをうまく見積もって、それより少し上のものを提供し続ける。
うちのパートのおばちゃんのリーダーはよく「せっかく来てくれたんだもの。笑顔で帰ってほしいじゃない」と真顔で言う。これこそが接客の要諦ではあるのだけれど、冷静になって考えてみれば、傲慢極まりない考えかただともいえる。客の要望に応える、という考えかたではこの考えかたは出てこない。裏側から考えれば、この考えかたは、接客をする側の都合だともいえるからだ。あくまで「自分が提供するもの」のほうが主眼になっている。
だから、そのおばちゃんは、口では「お客さんのために動くのよ」と言いながらも、実際にはお客さんの行動を支配している。広く、薄く、店の様子全体に気を配りながら、その隅々まで自分の支配力を及ぼそうとしている。カゴを持たずに、レジカウンターに商品を積み上げてあとで精算しようとする客には、先手を売って「荷物多いでしょ? カゴがあったほうが楽よ?」と言って、カゴを渡す。それは本来的には客の要望ではない。店の側の要望だ。
すき家で遭遇した「接客の達人」の話。その達人の行動に対する観察眼の鋭さ、そして真の「接客の達人」とはどうあるべきなのか。シンプルで分かりやすく「語っている」。するっと読めて「なるほどな」と思わせてくれるあたり、実はこの人自身も達人なんじゃないかと思えてくる。
それはさておき。このような「達人」でまず思い出すのが、駅売店のキヨスクの「達人」。短時間で注文をてきぱきとこなしていく様は、買い物客自身の立場でも、はたから見てても気持ちがいい。でも【駅売店などの出版物販売動向をグラフ化してみる】で触れているように、JRでは直接数字に表れない、この達人たちの能力を見ることなくスパスパと切り捨て、ようやくマイナスの点で悪影響が出たことに気がついて慌てふためいているありさま。しかも達人たちの「業績」をあくまでも認めない方向でいる雰囲気ですらある。
数字を見て精査するのは大切。でもその数字の裏側に何が隠れているのかを見落としてはいけない。表面的な、一義的な数字だけで成否を決めて、その他の要件を無視して切り捨てることがいかに愚考でしかないかは、例の魔女さ、もとい仕分け事業で明らかだしね。
ともあれ。元の記事は一度読んでおくことをお勧めするよ。
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