先に【子供手当の記事再読の話】で触れた、「黙っているのは同意してるのと同じだからね。あと、その意思の表示の仕方次第では単なる言葉以上の意味がある」の件。これの一つが、記事タイトルにもある「ゆでがえるを救うには温度を教えてあげること」。「ゆでがえる」ってのは有名な「逸話」で、「水の中にかえるを入れてじわじわと温度を上げると、熱さに慣れてしまうために、少しずつ温度を上げて、最後に沸騰しても気がつかずにゆであがってしまう。痛みも少しずつ長期間に渡って伝えられると慣れてしまう」という話(まぁこのカエルの行動自身については【かえるは茹で上がらない】などにもあるように、戒めのための作り話なんだけどね)。
で。心理的な面が数字に反映されるところが大きい指標(例えば「景気ウォッチャー」とか)見てると、環境としては全然改善されていないどころか悪化している面もあるのに、同じ状況下にいると慣れてきちゃうのかな~という感がある。でもそれって、ゆでがえるの話じゃないけど、「また計算が合わないな、いつものことだから」と目をつぶっていたら、実は不正経理をされていたって感じのと同じで、してはいけない「慣れ」なんだよね。熱しやすく、醒めやすい日本では特にまずい......というか、それを逆に利用する不逞の輩も少なくない。
この「ゆでがえる」状態を防ぐには、正しく数字・状況をチェックして、現状を把握すること。「何となく温かいけどまぁいいか」と浸かっているカエルが「もう40度です。この10分間、1分に2度ずつ上がってますよ。このままではあと5分で50度に達しますよ」とささやかれたら、危機を覚えてその場からジャンプするに違いない。
もし「ゆでがえる」になりかけの場面・人があった・いたとして、そのささやきになればいいなぁ、そうしたら、単なる言葉以上の有意義な意味があるなぁ、というのが、先の記事で語り損ねたこと。
もちろんささやく内容が間違ってちゃいけないし、かえるが聞く耳持たなくても意味が無いけどね。
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