東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)以来、多くの人がより強く、そしてようやく気が付き、または「これまで騙されていたのか」と嘆きながら感じている、一部報道(一部、というより「大分」の方がいいかな)への憤りと疑問と不審。それが元新聞記者の口から淡々と語られている。その言葉にはずっしりと重い、そして納得するしかない主張が反映されている。最後の言葉、
平時なら「ミスリードでしたね」とへらへら笑って許しているかもしれないが、これは戦争並みのクライシスなのだ。生死がかかっているのだ。この愚劣な報道は有害ですらある。
もう一度言う。クライシスに市民のために役立たない報道など、何の存在価値があるのだ。
これが恐らくすべてを語っているにちがいない。もちろんちゃんとやってるところもあるけれど。民放の多くは今や電気と電波資源の浪費の対象でしかない。
当方もこれに関していくつかコメントした。「予算がない? マーケティングだ? 視聴者が求めている? タワケたことを」「元々不審がられていたマスコミにはチャンスでもあった。しかし今回、多くのマスコミは、チャンスをピンチに変えてしまった」。そして「平時の無能は無能でしかないが、有事の無能は人死にを生み出す」。
そう、今は「有事」なのだ。
コメントする