ある時は「社会の公器」、またある時は「商売をする会社」

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感情論による印象操作的な番組の方が「容易に受けを得られる」ってのがあるから、多用したくなるんだよなあ、テレビ番組ってのは。指摘されると「商売だから低コストでウケを狙うのは当然」という反論があるのだけど、報道は「社会の公器」でもある、ってのを忘れてるでしょ。放送法で色々保護されていたり、地デジの件など何かと便宜を図ってもらえているのは、「社会の公器」だからだよね。

「社会の公器」という特権を利用しつつ、その義務を果たさない。そして義務を果たせと指摘されると「商売だから」と言い逃れる。まるでイソップ物語の「卑怯なコウモリ」のようだね。


権利というのは義務を果たしたことによる報酬、あるいは義務と一対になっているもので、権利ばかりを主張して義務を果たさないのは、自由奔放な振る舞いでしかない。食堂でご飯を頼んで食べ、代金を払わないようなもの。よくいわれる話だけど、テレビ番組の内容構成などを見ていると、こんなことを頭に思い浮かべる。

昨今ではとりわけ色々な数理的なお話が必要になってきたこともあるんだけど、感情論ばかりが先行して、「数理的、論理的におかしいだろ」「専門家呼んで検証させたのかな」的なものがボンガボンガあるので、どうなのよこれって感じがするよね。。。理系文系云々はさておき、ね(つーかその区分はあまり関係ないと思う。事実を語るか否かが問題)。それ専用の、有料配信のケーブルテレビならいざ知らず、公共放送的なテレビ放送で扇動番組を流すってのは、やっぱり変だよなあ、と。覚え書き。

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このページは、不破雷蔵が2011年5月16日 08:42に書いた記事です。

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