ほぼ同じようなことを、ほぼ同じ領域、あるいは別の領域だけどたどり着く先は同じってのを何度かここしばらくの間に経験してて、「はっ」とさせられた言葉。結局、自分の行為を正当化するために色々な理屈をつけてはいるけど、「自分が想像している理想像を維持する、近づくために『精一杯の努力をしている』という満足感を得るための、自己正当性の主張・行為」でしかないんだよね。「~のため」と責任を回避する考え方をしているけど、その裏に潜む真実は「自分のため」。
そりゃ確かに、確実な善意だとしても、「善意を施したいという自己欲求充足のための、自己満足行為」と解釈したら、何でもそうなってしまうのだけど。似たような話を以前したような記憶もあるなあ(乳酸菌周りだったかな)。あおりを繰り返すような話があちこちから出てるのも問題なんだし、本来権威あるところに疑わしいものが多くなっていたり、怪しいモノが妙な権威をつけているってのも一因なんだけどさ。
いきつくところは、イメージカットが表しているもの、そのもの。
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