日本では「考えるゲーム」が嫌われているのかな

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■「子供がやるもの」という固定観念=「ゲームに真剣になるなんて恥ずかしい」
これが今回の記事の要点である。日本人には(日本人だけではないのかもしれないけど)「ゲームは子供がやるもの」という固定観念がある。だからこそ、「ゲーム」を買いにくる人は、子供がやるようなゲームを買いに来るし、それが売れる。

するとどうなるかというと、「子供でもできるような運要素の強いゲーム」ばかりが人の目に触れることになり、さらにその固定観念が強化されていくのだ。

さらに悪いことに、こうした固定観念により、「ゲームを遊ぶ」というと、そういった運要素の強いゲームを中心に遊ぶものというイメージがまず、浮かんでしまうようになっている。私だって、大の大人が一日中「人生ゲーム」や「黒ひげ危機一髪」を、賭けも罰ゲームの一気飲みもなしにやっていると聞けば、「それはなかなか、童心に帰っていますね」と思ってしまうだろう(いや、別にいいんだけどw)。そのような「運要素が中心の、子供がやるようなゲーム」に、普通の大人は(リターンもなしに)なかなか真剣になることはできない。坊主めくりや子供雑誌の付録の「すごろく」に夢中になれるのは小学生までだ。大人になれば、あれは純粋に運のみであることがわかってしまい、勝っても負けてもたいした感慨はない。


色々興味深い話が山盛りになってるけど、覚え書きしておきたい部分だけをさらにまとめると、「ゲームは子供がやるもの」=「だから深い考えを必要とするものではない」⇔「だから大人が遊ぶと恥ずかしい」⇔「ゲームは運の要素で十分」ってことになる。

当方は学生時代ボードゲーム関連のサークル活動をしていたし、それ以外でも仕事なり趣味なりでそっち方面に浅からず直接・間接的に足を突っ込んでいたし、いわゆるボードゲームからコンピュータゲームへの変遷期(の末期あたりかな。実際に見たのは。あとは調べた)を見ていることもあり、色々納得させられる。

ただ、例えば「E.T.」では日本版では省略されてるけど、「D&D」をE.T.にプレーさせて性格を推しはかろうとするシーンがあるし、「ファイナルカウントダウン」ではごく日常の生活シーンとして兵士同士がボードシュミレーションゲームをプレーしている場面が出てくる。「大人の趣向」として「考えて遊ぶもの」の意味を持つボードゲームが、社会的に認められているんだな。

結局状況のシミュレーションと同じで、事象の事前検証の大切さとか、さまざまな考察とか、思考能力の育成とか、多方面で「思考型のゲーム」ってのは、有益だと思うのだけどね......。最近一部の小学校などで行われている「経済ゲーム(貿易ゲームともよばれているかな)」もその一つなんだよ、ちなみに。

......まぁ一部の経済系ゲームでは、事実上怪しいサークルへの勧誘アイテム代わりに使われちゃってる事実があるんで、そういうのもマイナスイメージとしてあると思うんだけどね。


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このページは、不破雷蔵が2011年8月 4日 12:47に書いた記事です。

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