手前が学者を馬鹿にする意図がある場合に「ガクシャ」と表記する、というのは、昔から当り前に使われてたテクニックでね、「センセー」とか「セージカ」とか、敬意のない、平板の、ただ音だけを写している、という意味があんの。元々カタカナは会話と物音を写す文字として使われてたからね。
英語の場合はどうやるのかなぁ、とか思いながら、この説明には妙に納得してしまった。ある地域を片仮名で表記して、文化人というかアーティストぶりながら、はたから見れば侮蔑しているようにしか思えない状況を説明したかったんだけど、どうにも上手くできなくて。それがすっきりした感じ。確かに音声しか表記してないものね。本来敬意を示す対象に、それを表さないことで、相対的に見下す、あるいは「敬意は示していませんよ」ということを暗に提示すると。
「ケータイ」と「携帯」の場合は単純に、汎用的というか、世間一般的な意味合いしか持っていないけどね。
ともあれ、なんだかすっきりした感じ。なるほどなぁ。
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