アントニーの詐術というテーマがある。
1.こうであろうと推察する。
2.推察を補強する事実(と多くの者が判断する基準)をもって証明する。
このことによって、読者(メッセージ受動者)を扇動、決まった方向へ思考を導く方法である。
これによれば、Aという人物を正義の人とすることも出来れば、世紀の悪人とすることも出来る。
メディア(マスコミ)の手法はこれに似ていないだろうか。
なにしろ、証明する事実を見せるのは彼らなのである。
都合の良い推察に事実(に見えるもの)をつけるのは容易い。
ここで気づいた人も居ると思う
1.理論
2.証明(実験)
と置き換えれば、科学の根本ではないかと。
この置き換えが正しいかどうか、私はそう思うが、皆さんは違うかもしれない。
そこで登場するのが、ゲーデルの不完全性定理。
Wikiによる引用は以下のリンク
【東電の5億円なデマ話】で触れたデマ話のトリガーの一つになった、「赤旗の記事のキャプチャ」と「コメント」回り。一見すると関連性があるように見えるけど、実のところはほとんどつながりは無く、連動性もないに等しい。にも拘わらず並べたててさも深い関係があるかのように見せることで、片方が(政党機関紙とはいえ)新聞という物理媒体による言及であることから、もう片方のコメントも「正しい情報ソース」のように見せかけるという手法。これを「アントニーの詐術」というんだそうな(由来までは調べきれなかった。残念。まぁもし「アントニー」云々が空想のものとしても、ロジックそのものは存在するし納得もできるので、ありとしておく)。
まぁ、相関関係と因果関係は別物だよね、みたいな感じと似てるかな。例えば「交通事故を起こすドライバーの約半分は、直前の食事にパンを食べている。だからパン食は交通事故を増加させる原因になる」とかね。実際に二者が因果関係的なものを認められ得る状況にあれば話は別なんだけど、「それを読み手に意図的に錯覚させる」あたりは、詐術と揶揄されてもしかたないわなあ、と。「二分法の罠」とあわせ、こういうのを好んで使う人達が、色々世の中かき混ぜてるから気を付けないと......
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