ところが、江戸時代、生まれた子供のうち半分育てばよいほうと言われた。当時の乳幼児死亡率は、推定で50%前後だったのだ。幼い子供があっけなく死ぬのは、日常茶飯事だった。
死因の大部分は、疱瘡(天然痘)や麻疹(はしか)などの伝染病である。伝染病に対して、当時の医薬はまったく無力だった。教育水準や衛生水準、栄養水準が低かったこともある。伝染病はすぐに蔓延したし、体の抵抗力もなかった。なお、当時の病気・死因などについて解説した名著としては、『江戸病草紙』(立川昭二著、筑摩書房)がある。
江戸時代は自由で、豊かで、環境と調和し、人情にあふれ、まるで「地上の楽園」だったかのように賛美する、いわゆる「江戸幻想派」の人々は、この乳幼児死亡率50%という悲惨な事実をどう解釈するのだろうか。
人口の増減は食料生産の向上や飢饉、疫病の流行、戦争などに影響を受けますが、人口がほぼ一定した江戸期の日本人の平均死亡年齢は男女とも27・8歳前後で飢饉、疫病の流行期には17・8歳であったとの記録があります。
現代からすると異常な低さですが、この平均死亡年齢は零歳における平均余命で、この異常な低さをもたらしたものは乳幼児死亡率の異常な高さにありました。
この時期の乳児(零歳児)と幼児(1~5才)の死亡率は全死亡率の70~75%も占めており、こうした乳幼児の大量死亡が江戸時代の特に農民の平均寿命を28歳前後に押し下げていたわけです。
昨日少々どたばたがあったので、とりあえず二つほど資料&覚え書きとして。例の早稲田のデータベースたどれば、二つ目の記事に書かれている本も見つかるかな?
後半の引用文では「しかしながら乳幼児の死亡を除外してみますと江戸時代の60歳の日本人の平均余命がほぼ14歳というデータ」という事例も紹介されていて、非常に興味深い内容(60歳まで生き延びられれば、という話なのよね、要は)。ともあれ、文化や技術、倫理などさまざまな進歩発展を経て、人の寿命、特に幼少時の死亡率減退は成されていったわけで。
都合よく「エネルギー使わずに今の生活水準維持できるはずだヨ」というのは、多分に無茶な話。ん~。例えるなら「戦国自衛隊」。現代の兵器そのまま戦国時代にもっていっても、そのままの戦力維持できなかったでしょ。あるいは「銀魂」みたいな世界を想像してるのかしらね。
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