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IT(情報技術)の進歩によって伝統的なジャーナリズムのビジネスモデルが通用しなくなった。ジャーナリストは当然、業界の将来に懸念を抱いている。フリーになったベテラン海外特派員が最近関わった騒動は、真剣勝負のジャーナリズムにはカネが必要だということを、読者の側も考えなければならないことを浮き彫りにした。
雑誌「ザ・アトランティック」の編集者は、フリーのジャーナリスト、ネイト・セイヤー氏に対し、他の雑誌に掲載された同氏の4000語の記事を、同誌のために1000語に書き直してもらいたいと依頼した。セイヤー氏は猛反発し、自身のブログに「フリーのジャーナリストの一日:2013年」と題して、その編集者との電子メールのやり取りを掲載したのだ。
それによると、アトランティックの編集者は、セイヤー氏に「残念ながら、この記事への原稿料を払うことはできない。うちのサイトには月1300万のビジターがいる」として同誌向けに記事を要約することを依頼してきた。これに対し、セイヤー氏は、「わたしはプロのジャーナリストだ。書くことで25年間生計を立ててきた。自分の記事と努力を営利メディアに対し無償で供与し、生活費支払い能力や子どもを扶養する能力を犠牲にして、そのメディアが利益を得ることに協力することは主義に反する」と返信した。さらに「あなたは、最近よく行われているように、御社のインターン(見習い)に記事を書き替えさせればよい。他社もすでにやっている。しかし、情報の出どころは明記していただければ幸いだ」と提案した。
インターネットの普及により、書いた記事を不特定多数に公知する手段のハードルが思いっきり下がったことで、いわゆる「ジャーナリズム」「報道」の既得権益的な垣根が取り払われ、新たなビジネスモデルが求められている。そんな感じを切々と覚える話。
記事タイトルに「も」が付けられている通り、すべての報道がこの考えに合致するわけではない。ただ、しかるべき内容のものには、しかるべき対価が必要だが、今のビジネスモデルではその対価を得るのは難しいよね、でもその問題を見て見ぬふりをして現状を許容していると、「しかるべき対価を得る価値がある報道」の存在維持が難しくなるよね......というところかな。
一方で、手間と費用がかかるような内容が、すべて対価的評価が与えられるような報道・ニュースとは限らないのも事実。そしてそのあたりを誤解し、悪用している人達がいるのも事実。どのような仕組みが良いのか、どの仕組みを併用していくべきなのか。すべての他の事業やビジネス同様、世の中の仕組みの変わりと共に、試行錯誤が続けられていくのだろうな。
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