「美味しんぼ」で今のうちに釘を指しておこう

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まず1つ。

仮に今後の話の展開で先の掲載分内容を否定するような展開がなされる、あるいは「こういうことはあってはならないことですので仮定的な話として」「という話がありましたが騙されてはいけません」「こういう意見もありました」さらには「こんな夢を見たんだ」的なちゃぶ台返しをして、あるいは「このような考えを持つ人もいることを忘れないで云々」という自らを被害者側に置き換えて批判を交わそうと試み、「反論は、最後の回まで待て」を実現したとしても、それは通用しない。

先行する形で語られていた内容、情報の波及力、大手出版社発行による20万部近い雑誌上での公言であることから、確実にそれは「実害」を与えている。最後に「それはウソでした」としても、その公言でそれまでの影響が消えるわけでは無い。もし仮にこの手法が許されるのなら「最後のちゃぶ台返しまでの期間はどこまでがセーフなの? 1年間ずっとこんな形で放言を続けて最後にちょろっと『うっそでーす』でもいいの?」「ならば虚言を事実のように語りつづけ、雑誌の休刊か連載作品の最終回に『全部ウソでした』と書けば、何やってもいいってことになるじゃん」ということになる。一応雑誌にはいずれも「フィクションです」と毎号書き連ねてはいるけどね。

もう1つ。

今件で仮に「表現の自由」を雑誌サイドが持ち出して盾に使ったら、その時点でアウト。先にも触れたけど、「表現の自由」も含めた「自由」には必ず「責任」「義務」が生じる。それらが無い「自由」ってのは「自分勝手」「自由奔放」「無法」に過ぎない。腹が減ったから食事を摂るのは自由だけど、食堂で料理を頼んだりコンビニで弁当を買えば、対価を支払うのが必要で、これが責任、義務。

表現の自由はあるけど、その表現には責任を持たなきゃならない。そしてその責任には、社会的規範やルールの順守も含まれる。昨今のどたばたや非難は、まさしく自由に連なる責任が発生しているに過ぎない。言い換えればこのような状態が起き、雑誌側にツッコミが入って「対応」を求められている状況まで含め「表現の自由」が行使されていると見るべき......だと思う。

「自由」ってのは何やってもいいってことじゃないのよね。それだと単なる「ヒャッハー」な世界と同じよ? 雑誌側が常日頃から語っている「表現の自由」ってのは、そういう無法な表現を是とするものなの? ......と疑われても仕方がないってことになるのよ。仮に「表現の自由」を言い訳に使ったとしたら、だけど。

......あー。もちろん。今編最後の回で「......というような話を、自称専門家などからの意見・取材で描いてきましたが、騙されてました。てへぺろ★」というのもアウトよ(さらに釘を刺す)。その手法で許されるような類の話ではありません。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2014年5月11日 07:42に書いた記事です。

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