強制を外したら整備不良車が増える!
これはまさしく国が車検を維持してきた理屈そのものです
日本のユーザーは利口です。ルールで強制されなくても、愛車の整備はちゃんとするようにできると思いませんか。それでこそ普及が進むのです。クルマの普及を進めよの話しとは矛盾することを指摘しています
— MagX(マガジンX) (@CyberMagazineX) 2014, 5月 28
自動車の専門誌の公式アカウントによるツイートとしては、少々安易な、というかツッコミどころがありまくりだろうなあ、という発言として覚え書きも兼ねて。確かに日本の車検制度はごっつ金がかかるし、リケンガーとよくいわれているし、自動車保有の際のハードルの一つとしても挙げられている。【車の負担、ガソリン代や自動車税よりも重く感じるのは?】にもある通り、諸経費でもっとも負担を覚えるものが車検代って位だからね。昨今ではガソリン代が追い付いてきてるけど。
で、今件主張としては「車検の強制を外したら、つまり任意にしたら、整備不良車が増えるっつーけど、日本車は丈夫だし日本のユーザーは利口だから、自発的に整備してくれるので、強制にする必要はナイよ」「そうすりゃもっとみんな自動車買ってくれるんじゃね? お金の負担減るんだから」という論調。
まぁ、現行の車検制度において負担が大きい、どうにかしろという話が上がっているのは事実ではあるけど。それをもってして、専門誌がこんなことを語るのはどうなのかしらね。先日の【国民年金未納問題、「事故らなければどうということはない」はシャア少佐だけの特権】やちょいと前に話題に登った、数十円の「おくすり手帳」の節約話と同じく、「もしも」の可能性をゼロに換算した上での都合の良い条件下で、強引にそろばん勘定をしているんじゃないかなあ、これ。
上の発言に対するツッコミでもあるけれど、運転免許証取得の際に訓練は受けているものの、自ら整備、チェックをする人など少数派でしかない。似たような事例として、自転車の整備をしている人がどれだけいるのかな、と考えてみれば容易に理解は出来るはず(自転車を卑下しているわけではないので、念の為)。「ルールで強制されなくても、愛車の整備はちゃんとするようにできると思いませんか」の問いには「思いません」という返ししかない。
自動車の普及を進めたいという気持ちは分かるけど、そこから理論を飛躍してこんな主張をするのは、お門違いな気がしてならない。仮に今の状況を「自動車の普及がまだまだ足りない」とするのなら、原因は別のところにあると思うんだけどな。それこそ当方は門外漢の話ではあるし、専門誌の方なら理解できているはずなんだけどね。
そもそも論として「ちゃんと」ってなあに? とか、さ。
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