先日の都議会での発言問題が好例だが、何らかの問題発言に関する話題が登るたびに「このような問題は匿名文化が引き起こした。匿名制だからこそこのような発言が繰り返される」との主張が有識者によって語られることになる。説明にいわく、インターネット社会、日本の社会文化は匿名文化なので、人々は責任を持たずにこのような発言を行える、実名制・記名制ならば起きえない、野蛮な話だ云々。これを「実名至上主義」と呼ぶこともある。
■日本と海外におけるネット上の匿名・実名文化
さまざまな歴史的過程や大本の社会文化の違いもあるが、インターネットで構成される情報社会において日本では匿名制が浸透し、海外では概して実名制が進んだのは、実はソーシャルメディアの普及前にコミュニケーションツールとして大いに使われた、掲示板の仕組みの違いにある。日本では「2ちゃんねる」や数々の無料掲示板サービス、配布スクリプトによる設置掲示板が用いられたが、それらのほとんどはその場で書き捨てできるタイプ。
一方海外ではスレッド方式による、登録制のものが主流となった。これは名前(もちろん実名では無くハンドルネームでも良い)を登録した上で、その登録データでログインし、はじめて書き込みができるというもの。必然的に「匿名希望」的な掲示板への書き込みという書き捨て的なスタイルは少数となり、「個」を強調した上での利用が主流となる。
また欧米では個人を強調・主張するというスタイルは、【日本の若者が抱えるネガティブシンキング、各国比較で上位独走!?】などでも解説した「自分は自分だから自分の考えで行動し、それで満足」的な傾向からも確認できる。日本は「全体、集団の中の一員」としての認識が強く、それゆえに見方を変えれば個人を主張する必然性は低く、逆に個の主張は「目立ちたがり屋」とばかりに敬遠される風潮すら見られた。
↑ フリーのスクリプト提供による掲示板の一例、YaBB。名前などを登録し、ログインしないと書き込みが出来ない(管理側は登録しなくても書込みできるモードへの切り替えも可能)
元々社会文化の上でも匿名・実名的な様相はあったが、それが掲示板の利用スタイルの違いを生み出し、インターネット上におけるコミュニケーションのスタイルに大きな違いを生み出すことになった。
■「匿名文化が差別発言を引き起こした」は一言でひっくり返せる
「匿名文化が差別発言を引き起こした」。それは本当だろうか? 問題発言の類は本当に匿名を原因とするもので、実名ならば起きえない話なのだろうか。
この論調は次の一言でいとも容易にひっくり返せる。
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