基本的に完治しないからなぁ。寛解状態にはなっても。
「病気なのに全然病気に見えないから辛い」
「先のことが見え始めて回復を喜べない」
→治りかけてきてた躁うつ病の何が辛いかを語る - 言いたくないけど、僕が青二才です http://t.co/qh8nLq1IUg
— Yasuaki Madarame (@madarame) 2014, 8月 7
引用元のブログの内容はといえば、回復基調にある躁うつ病の持ち主の方が、どのような悩みにさいなまれているかを語ったもの。治ってきているのならいいことでは? と想いがちだけど、実はそうでもなかったりする。
詳しい内容は引用先で確認してもらうとして、概要としては記事タイトルにある2要件。まず一つは対外的に「あの人は病だ」と見えないこと。今件では本人自身も気が付きにくいことへの問題点が語られているけど、内蔵系の疾患でも似たような事柄は多い。風邪かも、ちょいとした体調不良かもと勝手に解釈して、病症特定や治癒開始までに時間がかかるとかね。そしてもちろん治療を始めたあと、周囲からは「病気だ」と認識されないこと。寛解(まぁ大体治ったけど完治ではないのでまた再発するかもよ、的な状態。確率論的には多種多様でゼロにちかいものもあるし、結構な確率で再発する場合もある)状態だとさらに辛い。
そして、病気が回復し始めるとかかりやすいのは、「先の事が見えることによる不安」。今件では2つ目の方。病気を治療している間は「生きねば」「治さねば」が優先して、他の事を考える余裕はない。ただ、回復基調となり病症の先行きが見えてくると、その先、つまり日常生活における「先行き」の不安が支配率を高めてくる。当方も入院中、退院間近になるに連れて、病気そのものよりも、退院して自宅での静養、その後通院状態での精査となった時に、自分の仕事とか生活をどうしようかという悩みが増えてきたのを覚えている(ちょうどその時、自分が勤めていた会社も大変な状態だったし......というか、それが病気の大きな要因だった)。
実は、色々な意味で、当方も今でも不安定な状況に変わりはない(昨年の胃がん疑惑の時にはますます強く感じた)。その意味でも今件はあくまでも躁鬱での話ではあるけど、非常に納得のいくものであり、理解が出来る話だなぁ、と思いながら読み通した記事ではあった。
世の中の理不尽さに対抗できるだけの自信と力、欲しいよね。
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