最近テレビ見てても、ネットでずいぶん前に見た動画とかツイッターの話題まとめとか、ネットより表現をマイルドにしてあちこちに顔色うかがって何が言いたいのかわからなくなったニュース、食べログでとっくの昔に人気の店みたいなのばかりでつらい。足使わないで検索ばっかりしてるのかな...
— きづきあきら (@kidukira) 2014, 8月 13
先日の【ぼくらが観たいのは「面白いテレビ」。「キレイなテレビ」じゃない】とも浅からぬ関係があるお話。「テレビでやってるっのって、結局ネットでやってることの劣化コピーと同じじゃん?」というところにまとめられるけど、これはいくつかに解釈ができるし、どれか一つだけということもない。
まず一つはネットが浸透して人々がスマホなりに親近感を覚えて生活に浸透している以上、それを題材にした番組が展開されるのは当然という話。自動車が普及すればそれ関係の話は出て来るし、「妖怪ウォッチ」が流行れば関連情報を展開する。需要に応えて供給する。NHKの某番組のように、巧みに双方向性を活かしたものも出てきて、これはむしろ喜ばしい話といえる。
一方で指摘のメインを占めるであろう、ネット情報の劣化コピー的な話。これも2通りの仮定があり、「元々そうだったのが容易に理解できるようになるほど劣化してきた」「実際にそういう作りのものが以前と比べて増えてきた」。いずれも製作側のリソース不足が原因なんだと思う。単純な金銭面での不足に加え、人材的な不足も合わせ。あと、人ってのは概して「楽な方法」を見つけると、そちらになびいてしまうもの。その「楽な方法」が今までの方法と比べて同じ質の物を創生しているように見えても、実は中身が劣化していたりすると、その繰り返しでどんどん劣化が酷いものになってしまう。先日の某テレビ局が募集をかけた「何かあったら責任は全部投稿者だけど、なんだかすごい動画を投稿してね」的なアプローチのかけかたも、いかにもそんな発想を製作側がしている表れともいえる。
検索すること自体は別に良い。ツールなんだから。でもそれで終わらせてしまって、しかも使い方がいい加減、おざなりでは、指摘の通り、ネットで直接情報を得た方が何倍もマシと判断されてしまう。内輪受けで笑いを誘うパターンとかが増えてきたのも、その流れの一環かな。金をかけずに一部にでも受けが良いのなら、それを繰り返そうという感じ。
このタイプの意見はまだそれほど多くは無いように思えるけど、単に言葉として明確に表明しないだけで、頭の隅に考えとして存在している人は多いのかもしれない。今後それが減っていくか、それとも増えて声に出す人が増えて来るのか。テレビ局の姿勢次第ではある。
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