"「支える側と支えられる側のバランス調整のために定年を上げるのなら、労働機会そのものの拡充が前提」であり、「単に定年の引き上げだけを行えば労働機会の奪い合いで"現役世代人口で高齢世代人口を支える"状況の改善には何も寄与しない」"
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 8月 17
先の「支える側と支えられる側の~」のコピペ、「ワークシェアで解決」は不可ね。ここでの労働機会は労働側に提供されるリソースの事を意味するので。ワークシェアでは労働者人数は増やせますけど、提供されるリソース総量に変化は無い。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 8月 17
本家サイトで明日あたりに更新・掲載予定の記事から抜粋。年金周りでよく問題視される「何人の若者=生産人口で、年金生活者を支えるのかの構図」に関するお話。この問題の解決法として、年金受給開始年齢を引き延ばさざるを得ないので、その分をサポートするために定年を引き上げるとの方向で話が進んでいるけど、それじゃ意味ないじゃん、ということ。
労働市場そのものの拡大を連動させない限り、定年引き上げの政策を優先すれば、当然現在の労働者人口が割を食うことになる。ピザの例えなら、ピザそのものの大きさは変わらないのに、先輩たちが割り込んできて「俺達を優先的に食わせろ」と言ってきたようなもの。後輩たちは食えなくなるかもしれない。これが先進諸国共通の「若年層の高失業率」の根本的な構図(他にも単純作業が海外で行われるようになったり、機械に置換されたり、人材養成そのものがないがしろにされているとか、色々と要素はあるんだけど)。
で。根本的な解決策としては、やはり労働機会を増やすしかない。...んだけど、だからといって、ここ数年ちらほら話題に登る「ワークシェア」では意味が無い。「ワークシェア」では労働人口は増やせるけど、得られる対価の総額は変わらないので、結局みんなが貧乏になり、若年層は高齢者を支える余力が無くなる(今件ならば年金保険料が払えなくなる)。高齢者は元々年金を受け取っているから、労働対価は少なくても何とかなるけど、年金はまだもらえない若年層はそうもいかない。
結局、個別個別の切り盛りでは無く、社会全体のリソースの分配という観点で見ていかないと、問題は解決しないのよね。産業の活性化、新市場の開拓が必要。それには多額の研究開発や投資が必要。要は種をたくさん植えて畑を耕さなきゃいけない。でも今は、種もみを高齢者に分け与えたり、畑を売り払って高齢者に代金を分配している。これじゃ若者が納得するはずもない。
まずは総合的なリソースを増やす手立てを講じよう。そうでなきゃ、先行きが不安になるのは当然の話。でも今は高齢者の方が数は多いし投票率も高いので、政治家も「焼き畑農業的」だとは分かっていても、そちらを向かなきゃならない。だからこそ、先日ちらりと触れた「高齢層における選挙権云々」ってのにつながるのよね、実は。
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