色んなソシャゲを無課金中心で触ってきたけれども、この部分ぐうわかる。 pic.twitter.com/nPRUUMtDvE
— だるす (@Daruism) 2014, 8月 21
勘違いする人いそうだけど「得難い体験(ソフト)に金を払う」のが本来のカタチで、「本来する努力(結果)を金で買う」のがダメだという話ね。"@Daruism: 色んなソシャゲを無課金中心で触ってきたけれども、この部分ぐうわかる。 pic.twitter.com/dmiM4Og0aG"
— 狼さーもん (@ookamisalmon) 2014, 8月 21
「売っていいものといけないものがある。ゲームというのはな、いかに楽しく努力をさせるかが重要なんだ」
原典を探してはいるけど、未だにちょいと見つからない、でもすっげークリティカルに響いた、ソーシャルゲームと課金に関するお話。タッチやコマ割りの構図、そしてセリフ周りから、恐らくは鈴木みそ先生のものだと思うし、だとしたら以前から随分と絵柄が変わってて、より読みやすくなったので、これは是非とも一冊購入したいなとは思うのだけど。
やはり思うところがある人はあちこちに居て、当方も含めて色々な意見が。
TCGとかを槍玉にあげる人もいるけど、基本的に直接人と向き合ってプレイするゲームだしある意味コミュニケーションツール。「人と触れ合うためのツール」を買ってる。
対してソシャゲは基本的にスタンドプレーで人との交流も薄く(利用するだけ)、しかも掛けた金がほぼそのまま戦力差になる
— 狼さーもん (@ookamisalmon) 2014, 8月 21
(当方の知人には「(キャラクタを生成する)時間をお金で買うんだ」と、喜々として課金していた人もいたので、そういう考えもありなのかもなあ、という説も。でもそれをゲームの売上の基軸として考えちゃダメだよね、きっと。フィットネスクラブで強制筋肉強化剤を高値で売るような物)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 8月 21
ソシャゲに課金する感覚はタクシーに似てるでござる。歩いて30分で帰れる距離を五分でさっさと帰りたくてタクシー代払うみたいな。歩きたい人や節約したい人は歩いて帰ればいいと思うんだけど、その徒歩勢の中に何故かタクシー使う事を責めてくる人が稀にいるとこまでよう似てるす。
— 緑肉@BF4PC勢 (@midori_niku) 2014, 8月 21
そもそもリアルマネー(現金)だって努力によって取得したものなのだから、その努力の置換行為と考えれば問題は無いのではないか、ああ、だとしたらその努力が極小になる未成年者はますますもって課金はダメだなあ、という色々と話がなるほど感でつながっていく。
手段として、一つの方法論として、そういう道筋を用意しておくことは悪くはないと思う。ゲームの設定次第だけどね。でもそれがメインになる、それを用いなければゲームの面白みが半減してしまう、それをゲームのビジネスモデルの根幹にしてしまうってのは、まさに本末転倒でしかない。この辺りの考えは、以前紹介した、任天堂が考えている課金周りの話や【商品としての展開と、DLC(ダウンロードコンテンツ)と】の話とつながってくる。
まぁ、ビジネスモデルとしちゃあ、DLCメインにしたり、課金周りでざくざくとシステム化した方が、短期的な儲けは出やすいし、収益的な成功率も上がるからねえ。でもそれって結局、ユーザーの市場などを考えると焼き畑農業と同じやん? という感じがする。言い方変えればイナゴ。
とはいえ、中長期的な戦略での分析はゲーム業界では(少なくとも日本では)ほとんど行われていないし、なされていたとしても鼻で笑われる、短期で大儲けすればそれでOK的な雰囲気があるからなあ。昨今のスマホ関連のヒット商品と、それを出した企業の動きを見る限りでは。
近視眼的な思考は、中長期においては奇跡でも起きない限り必ず身を滅ぼすんだけどね。
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