この世で一番嫌いな雑誌はゼクシィです
①情け無用の超重量
②巨大付録しかも複数(セットにして縛るのは店員)
③本体+付録の分厚さで陳列棚に並べられない
④売れない
※写真は僅か4冊分 pic.twitter.com/fvTaOjEadi
— 幾花にいろ (@1987216) 2014, 8月 22
「ゼクシィ」に限定した話ではないけれど。雑誌の印刷証明部数関連の分析記事で何度となく取り上げている、雑誌不調の切り札的な手法の一つとして、昨今では女性誌を中心に一般化している、どちらがオマケか分からないような付録を付ける様式。ディアゴスティーニ方式......とまではいかないけど、ますます付録のボリュームが増してきて、これ付録レベルじゃないよね的な感が。
直前の記事にある「これ食玩じゃないよね云々」は流通ルートの問題によるものだけど、こちらは本誌そのものを売るための釣りエサがどんどん巨大化してしまったという話で、食玩におけるガムを売るための手法の成れの果て。
オマケの元商品提供側も知名度の向上や集客という観点では大いに活用しているのだろうし、買い手としても時に「なにこれスゴイ」的なステキ発見をするあたり、玩具店でウィンドウショッピングをしている気分になれるのが良いところではあるんだけど。猫も杓子もとなると、差別化がしにくくなり、ますます内容が巨大化・過激化し、そして言及にあるように共倒れ的な状態になるのが誠に遺憾な状態。
一時期流行った「サンプル品のみを入手できるサービス」の需要を吸収している部分があるから、この傾向が無くなることはないんだろうけど。チキンレースな状態にあることに違いは無いし、あまりにも行き過ぎると何らかの規制チェックが入るかもしれない。
こういう時は右に倣えでは無く、ちょっと発想の転換をして、皆とは少々ベクトルをずらした姿勢を見せると、得てして新たな流れの最先端を突っ走れることがある。そのような雑誌社が登場することを願いたいものだね(一部子供雑誌で加熱している、各種ゲームの特典コード入りってのもその形態の一つかなあ、という感はあるけど)。
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