可視化と一億総報道がもたらした「真相」は最近のものなのか、それとも

| コメント(0)


引用元のツイートがアカウントごと無くなっていたので提示が出来ないのがアレだけど。先の広島を中心とした中国地方の水害に対し、報道勢の傍若無人ぶりを写真付きでツッコミしていた件で思った事。当方もかつては一ライターとして関連業界の記者会見やら発表会に足を運んで、その際にいわゆる4マス(の関係者)の記者の絶対君主的なふるまいを多々見ていた経験があるので、「思い違いだろ」というツッコミは決してできない。もちろんそういうのが全部ってわけじゃないけれど。

昔と違って今はスマホなりデジカメで誰もが気軽に写真、さらには動画を取得し、それを瞬時に公開できる時代。その内容には印象操作的なものも含めて精査のスキルをさらに高める必要が出て来たけど、少なくともこれまでの取材側の特権が紙っぺら的なものになりつつあることには違いない(無論特定分野ではその専門職による素晴らしい技能や努力が発揮される面は多々ある)。

「一億総報道」「可視化」によって、報道される側だけでなく、報道される側も可視化され、報道される時代。先の「自分の昔の経験」では、4マスの記者は極端に自分に取材の目が向けられるのを嫌っていた記憶があるんだけど、昨今の暴露状況を見ると、色々と納得感はある。「情報網の秘匿」ってのはあるけど、そのルールを既存の報道側がザクザク破っている状況では、アレがナニだしねえ。新聞社の記事における記名化ってのも求められている時代ではあるし。

可視化されつつある現状で暴露、露呈されている実態は、果たして昨今になってからのものだろうか。それとも昔からのものが、単に把握されはじめただけなのだろうか。それは誰にも分からない。そしてオール・オア・ナッシングでもない。

報道する側の可視化によって、報道体制そのものの健全化、進化を強く望みたい所。一部報道が「可視化によって健全化する」と強く主張している物事と同じように。

こちらからは以上です。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2014年8月23日 07:35に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「ウェブサービスの「機能向上」の大部分は利用者にはマイナスである法則」です。

次の記事は「「入院で7、8万円」熱中症で倒れることによる金銭的リスクの実態」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30