結局昨今多数指摘されてる、数々の報道姿勢へのあり方に対する問題って、「最近露呈してきた」のではなく、「元々存在していて」「一般の人が情報を発信できる立場になったので、その存在が露呈されるようになった」だけなのかもしれない>>公式RTs http://t.co/VT0Uw3K1rE
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 8月 21
ある意味、「一億総報道」「可視化による効用」とも言えますわな。普通ならここで自浄作用が働くし、よく言われる「可視化促進」にはその効用を期待したところが大きいのですけど......報道周りはどうなるのかしらね
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 8月 21
引用元のツイートがアカウントごと無くなっていたので提示が出来ないのがアレだけど。先の広島を中心とした中国地方の水害に対し、報道勢の傍若無人ぶりを写真付きでツッコミしていた件で思った事。当方もかつては一ライターとして関連業界の記者会見やら発表会に足を運んで、その際にいわゆる4マス(の関係者)の記者の絶対君主的なふるまいを多々見ていた経験があるので、「思い違いだろ」というツッコミは決してできない。もちろんそういうのが全部ってわけじゃないけれど。
昔と違って今はスマホなりデジカメで誰もが気軽に写真、さらには動画を取得し、それを瞬時に公開できる時代。その内容には印象操作的なものも含めて精査のスキルをさらに高める必要が出て来たけど、少なくともこれまでの取材側の特権が紙っぺら的なものになりつつあることには違いない(無論特定分野ではその専門職による素晴らしい技能や努力が発揮される面は多々ある)。
「一億総報道」「可視化」によって、報道される側だけでなく、報道される側も可視化され、報道される時代。先の「自分の昔の経験」では、4マスの記者は極端に自分に取材の目が向けられるのを嫌っていた記憶があるんだけど、昨今の暴露状況を見ると、色々と納得感はある。「情報網の秘匿」ってのはあるけど、そのルールを既存の報道側がザクザク破っている状況では、アレがナニだしねえ。新聞社の記事における記名化ってのも求められている時代ではあるし。
可視化されつつある現状で暴露、露呈されている実態は、果たして昨今になってからのものだろうか。それとも昔からのものが、単に把握されはじめただけなのだろうか。それは誰にも分からない。そしてオール・オア・ナッシングでもない。
報道する側の可視化によって、報道体制そのものの健全化、進化を強く望みたい所。一部報道が「可視化によって健全化する」と強く主張している物事と同じように。
こちらからは以上です。
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