ぼくが高校生までの1980年代前半くらいまでは、ノストラダムスはともかく1999年頃にはもう米ソの戦争か公害か資源枯渇でもう世界あかんやろという話はそれなりにリアリティがあったんだよね。その辺あっての終末思想。
— 近藤博次 (@kondohi) 2014, 8月 26
@kondohi @gishigaku 1999年なんて、人間が勝手に決めた暦の数字に過ぎなかったんですがね。ノストラダムスとか言ってた人は、その後言い訳にならない言い訳をしただけで、何も責任取らないし。結局予言なんて、外れても責任取らなくていいから言い放題なんですね。
— Fumihiko Fujiki (@UFOprofessor) 2014, 8月 26
@kondohi @gishigaku ただ、やはり、「世紀末」というイメージ自体は人々の心に大きな影響を与えていたと思います。その後の21世紀が明るいものとなることを信じてなんとか過ごしていたという感じは、確かにありました。最も21世紀も対して明るくはなっていないようですが。
— Fumihiko Fujiki (@UFOprofessor) 2014, 8月 26
某あたたたたな漫画をはじめとして、世紀という大きな区切りの後には何か新しいものがやってくるという期待がある。それと共に、その期待の直前には「もしかしたら越えられないかもしれない」という不安、心配がよぎるもの。試験に合格しないかもしれない、マラソンを走り切れないかもしれない、電車が遅れて間に合わないかもしれない。そんな話と同じ。世紀末伝説ってのは結局その類なんだろうなあ、という話(世紀末云々の話って、大抵マイナス系の話で、ポジティブなものってのが無いのも良い証拠)。第一、世紀末って、人がかってに仕切った区切りやん? という指摘にはなるほど感。
で、その辺が端的に分かるのが、
@UFOprofessor そもそも20世紀の末には「え?21世紀って2000年じゃなくて2001年からなの?」なスッキリしない感wもありましたね。あとY2K問題とは何だったのか。
— 近藤博次 (@kondohi) 2014, 8月 26
この指摘なのよね(笑)。実際、21世紀が西暦何年から始まるのか、間違えて覚えていた人も多いと思うよ。結局人間側の都合次第ってこと。そして、
結局何にもなかったねでもやもやしていたところで意気消沈していた終末論者たちをふたたび元気づけたのが911(そういう人と話してて人の不幸を喜ぶようにはなるまい、と心底思った)
@kondohi @UFOprofessor
— 原田 実 (@gishigaku) 2014, 8月 26
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— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 8月 26
この辺りの指摘も言わずもがな。ソ連の消滅で共産系の支持者が中国サイドに寄ったのと同じ感じ。新たな拠り所を9.11.なり、さらには震災で見つけたという感はある。だから、雰囲気が似ているんだね。属性が同じだから(震災関連については、その他に、いわゆる「反体制」的な学生運動的考えの人たちも加わって混じってしまっているので、一層タチが悪いのだけど)。
......一つだけ補足。「Y2K問題」云々とあるけど、それについては上記の内容は厳密には正しくない。当時の説明はワイドショー周りも含め多分に誇張されていた部分はあるけど、多くの企業や技術者の努力によって、結果として大した影響が生じなかったに過ぎない。この辺は今の電力事情と同じで、支えている人たちのことを軽視する意味も生じてしまうので、要注意ね。
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