世紀末思想って結局人間が勝手に区切った上での話だよね

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某あたたたたな漫画をはじめとして、世紀という大きな区切りの後には何か新しいものがやってくるという期待がある。それと共に、その期待の直前には「もしかしたら越えられないかもしれない」という不安、心配がよぎるもの。試験に合格しないかもしれない、マラソンを走り切れないかもしれない、電車が遅れて間に合わないかもしれない。そんな話と同じ。世紀末伝説ってのは結局その類なんだろうなあ、という話(世紀末云々の話って、大抵マイナス系の話で、ポジティブなものってのが無いのも良い証拠)。第一、世紀末って、人がかってに仕切った区切りやん? という指摘にはなるほど感。

で、その辺が端的に分かるのが、


この指摘なのよね(笑)。実際、21世紀が西暦何年から始まるのか、間違えて覚えていた人も多いと思うよ。結局人間側の都合次第ってこと。そして、


この辺りの指摘も言わずもがな。ソ連の消滅で共産系の支持者が中国サイドに寄ったのと同じ感じ。新たな拠り所を9.11.なり、さらには震災で見つけたという感はある。だから、雰囲気が似ているんだね。属性が同じだから(震災関連については、その他に、いわゆる「反体制」的な学生運動的考えの人たちも加わって混じってしまっているので、一層タチが悪いのだけど)。

......一つだけ補足。「Y2K問題」云々とあるけど、それについては上記の内容は厳密には正しくない。当時の説明はワイドショー周りも含め多分に誇張されていた部分はあるけど、多くの企業や技術者の努力によって、結果として大した影響が生じなかったに過ぎない。この辺は今の電力事情と同じで、支えている人たちのことを軽視する意味も生じてしまうので、要注意ね。

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このページは、不破雷蔵が2014年8月27日 08:10に書いた記事です。

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