「空気は読めないが、風は読める。」ってかっこいいな。 pic.twitter.com/qwB0lPWi7V
— harukonbu (@harukonbu) 2014, 8月 27
間もなく放送される鳥人間コンテストの公知ポスター。鳥のように広大な空を舞う人たちの優雅さ、チャレンジング精神をかっこよく語るべく、「空気は読めないが、風は読める。」というコピーを使ったようだけど、「空気は読めないが」という言い回しは元々ネガティブな印象が強くあるので、どことなく違和感を覚えるものがあった。「アホだけど、足は速い」みたいな......うーん、ちょっと強引過ぎる例えだけど、そんな感じ。
鳥人間コンテスト出場経験者は空気が読めない......っと。
— Kazuhito Kidachi (@kazuhito) 2014, 8月 27
なんでテレビ局って、ものづくりをオタク扱いして小馬鹿にするのが好きなんだろう。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2014, 8月 27
鳥人間学生チームは「空気は読めないが、風は読める」なんてことは全然なくて、みんな読売テレビの空気を読んで、言われてないことでも自粛するし、批判的なことなど考えもしない人のほうが多い。一方で、自分で空を飛んだことがない人ので風なんて読めない人が大半。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2014, 8月 27
鳥人間コンテスト出場経験者からはすごく評判の悪いポスターであった(当然か...
— JSF (@obiekt_JP) 2014, 8月 27
出場経験者に限らず(当方も出場したことないからね)、違和感を覚える、何となくな不快感が沸き上がる人はいるようで、その理由も大よそ上に指摘されている通り。なんていうのかな。コピーそのものが上から目線的なところがあり、それがじわりとにじみ出る雰囲気なのよ、このコピーって。
片方の要素を蔑み、その上でもう片方を底上げしてアピールする。広告展開、コピーの手法の一つではあるんだけど、使い方次第で対象を侮蔑することになるし、読み手にも良い感覚を覚えさせない。先の例なら、仮にオリンピック選手を応援するポスターに「こいつはバカだが足は速い」なんてコピーを付けたら、当事者はもちろん、見ている方も首を傾げるよね?
「全員が全員、そこまで深読みするわけじゃない」うん、その通り。一人でもそういう発想をするからやっちゃダメってことになると、何も出来なくなる。ただ今件の場合は一人二人では無く、多分に似たような発想、不快感を覚えることは容易に想像できるし、何より関係者(今件なら参加者)に対し、多分な差別感を表していることになる。
空気を読めないのはむしろ、放送局側、ポスター作成側ではないのかな。
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