よく「ツイッターとかでお腹痛いとか頭痛いとか呟く奴なんなの?心配して欲しいの?」という意見を聞くけど私は心配とかが欲しいとか思って呟いてるんじゃなくて「とりあえず呟けば治るんじゃないかな」って思って呟いてる
— のくな@ Deemo企画 (@nokunyan) 2014, 8月 26
ツイッターにおける書込みは「ツイート」と呼ばれており、これは元々鳥のさえずり。まぁ似たようなものだし、日本語訳的にもこっちの方がいいだろうということで「つぶやき」と翻訳されてしまったことから、独り言的な意味合いが強くなった。日本でのツイッターの利用に際し、海外と比べても、どうも「他人には聞かれていないかも」というニュアンスで使っている人が多いのは、この「つぶやき」という訳し方が問題だった気がする。
そのつぶやきの中で、自分の病症を語る人は少なくない。お腹減ったとか、頭痛いとかというのは良くある話で、中には深爪したとか、熱湯こぼしたとか鼻血出たとかその他諸々、ツイートしてないでさっさと対応しろよ的なものもしばしば見受けられる。
独り言、頭の中に想起した状況を直結するかのようにツイートしてしまうクセが出来てしまっているってのも一因なんだろうけど、同時に指摘されている通り、「かまってほしい」「注目されたい」というよりは、そのツイートによって状況が拡散されて、自分の問題が解消されるかもなあ、という無意識な想いが混じっている。そう考えると、何となく納得してしまう。
状況の共有による分散化。そして加えるのなら文字表記による具象化。これって心理学的には結構理にかなった話。前者は悩みがあった時に他人に話すと、解決方法を示唆されたわけでもないのに、何となく気が安らぐのと同じ。状況の共有化で、自分の孤立感から解放されるわけね。そして後者は具体的な形で、目に見えるようにすることで、状況を確定化し、不確定要素による不安を無くしてくれる。
そう考えると、ツイッターでのつぶやきが「痛いの痛いのとんでけー」(これも実は理屈は同じ。「痛い」状況の確定を果たし、しかも他人と共有する。さらに医学的な治療をするわけではないけど、「飛んで行け」という疑似的治療まで成している)と同じ、あるいは呪文的なものという考えは、あながち間違っていないと思う。
......ただねえ。
今後スマホが幅広い層に広がり、ツイッターも今まで以上にシニア層に広がると、この類の病症をツイートする事例がさらに増えてきたりするような気がする。あるいは病症で検索してその数をカウントすると、色々な病症の傾向もつかめてくるかな。風邪に関してはすでに風邪薬のメーカーが実証実験しているし、十分ありえそうな話ではある。
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