「排他主義的な書籍を置いたのでこの本屋は使わない、使わないようにしよう」「それもまた排他主義では?」

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なんちゃら会とかアンチなんちゃらとかは正直どっちもどっちで蠱毒みたいな感じになるのが世の中にとって一番なのかもしれないなあ、という感は否めないし、関連する書籍も多分にその雰囲気が強くて目を通す気も起らない。で、それに関連するいざこざも極力スルーしているのだけど、大手本屋の利用拒絶運動的な話があったので、ちょいとばかり覚え書きも兼ねて。

要は書泉グランデで、一方の勢力側の書籍についてある程度まとまった形でのコーナーを創ったら、反対側が逆切れして不買運動ならぬ不利用運動を呼びかける状態になったというもの。双方とも(自らが信じる)正義を御旗に掲げているから、強気に出ているのは分かるのだけど......これって、主張している側の行為もまた、排他主義・ヘイトじゃないの? と思ってしまうような雰囲気。

わが国においては、図書館が国民の知る自由を保障するのではなく、国民に対する「思想善導」の機関として、国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした歴史的事実があることを忘れてはならない。図書館は、この反省の上に、国民の知る自由を守り、ひろげていく責任を果たすことが必要である。

最後の「図書館の自由に関する宣言」はあくまでも図書館に関するガイドラインであり、書店には適用外のもの。しかも中小の書店は選り好みをしないと市場にマッチしないし、第一場所も無い。

一方で一定規模以上の本屋の場合は、多種多様な本を揃えるのが特徴であり長所であり、それがセールスポイントでもある。その一環として今件挙げられたようなものについて紹介されている。まぁ、その本の内容に対してツッコミを入れて、書き手や出版社に反論のお手紙を書いたり論評をアマゾンに書き記すのはともかくとして、販売をしている本屋自身を糾弾し、不買運動を煽りたてるのは、どうなのかなあ、というのが正直な所。

「売るな」という基準をどこに設けるのか、そしてその基準をクリアしたか否かを誰が決めるのか。法令で定められていない、曖昧なラインを、片方の主義主張を持つ勢力が、反対する勢力への反発心の一環として定めて声高に宣言し、それを実行するよう強要して良いものなのか。それこそが反対している排他主義そのものではないか、そんな気がするんだけどな。

個人や自分達のグループ内で購入しない、お店に行かないってのは別にいいと思うんだ。それは自由なんだから。それを喧伝して他人に声高に推奨したり、さらにはそれを推し進めるために不特定多数に公知することは、それこそある定義の上でのヘイトスピーチと同義なような感じがする。

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このページは、不破雷蔵が2014年9月27日 07:57に書いた記事です。

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