「名を語り返答を求めてメンションするのは、マイクを突き付けるのと同じ」

| コメント(0)


先日【御嶽山の噴火現場に遭遇した人への取材攻勢を見て】でも触れたけど御嶽山の噴火では事前兆候が無かったこともあり、多数の人が登山の最中で、状況の進行が複数の人の手によってテキスト、写真、さらには動画を用いて伝えられた。Facebookでも一部は流れたようだけど、当方が把握しているのはツイッター経由のもの(LINEを使ったのもあるかもしれないけど、プライベートコミュニケーションだからねえ)。で、当方が確認した方のうちの一人がこちら。

その後、


と逐次状況が伝えられ、この方は無事の下山が確認され、ひとまず胸をなでおろした次第......

......と思っていたら。いや、無事なのは違いないのだけど。


まぁ、こういう反応を示されるのも仕方がないかな。先の記事でも触れたけど、メディアスクラムを不特定多数の前で、しかも記録に残る形でやったようなものだから。

色々な事件の後で見かける報道番組の中で、被害者関係者に色々と聞きまくるシーンが時々出てくるけど、そして大義名分は「報道だから」「視聴者が求めているから」そして「仕事だから仕方がない」というのが理解できる一方で、「やりすぎだよな」とか思うこともよくある。特に当時現場にいた人たちに「何かできなかったのか」と聞いた時には「一人一人が出来る限りのことをやったのにその言い方は無いだろう」的なことを思うのもしばし。

で、結局普通の報道ならばそこで話は途切れるのだけど、言われた側は多分に、今件と同じような反応を示しているのだろうなあ、と思う次第。ある意味、ツイッターなどの普及と、それによって生じる今回のような「取材」行為は、報道事業に対する「可視化」ということになるのかもしれないなと思う次第。

一番意思疎通がし易いということでツイッターを使ったのだろうけどね。本人が使っていたのは間違いないんだから。でも、そのツイッターで、既存の取材方法(直接対峙してカメラを向けたり、突然電話をかけたり)と同じ感覚でやっているのが致命的かな。百歩譲ってメールなら着信側の事情で読むタイミングを選択できるんだけどね。

報道の名を冠した上で、返答を求める形で直接ツイッターなどで対象者にメンションをするということは、その瞬間から相手にマイクを突き付けているのと同じ、しかもその状況を不特定多数に可視化された状態で、ということを認識されたほうがいいんじゃないかな。テレビなら後で幾らでも編集できるけど、「可視化」されたネット上でのリアルタイムの行動は、そのような行為はできないのだから。

今件で再度感じたのだけど、報道内部で、いや外部ででも良いのだけど、一定の取材倫理規定なりを創らないと、受け手側から総スカン食らうようになりかねないよなあ。もっとも報道倫理規定の類が出来た所で、それが守られるか否かとなると、あまり期待はできないのだけど。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2014年9月29日 07:03に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「サイバーエージェント主催の"バイラルメディア"「オモロウ」が9月末で閉鎖という話」です。

次の記事は「御嶽山の救援などで陸自が派遣されたことについてのあれこれ」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30