ブロックしても公式RTされると見えてしまう仕様はどうにかならないものか

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先日【「ツイッターの新機能はこんな感じ」との説明まんがが超分かりやすい】で紹介したツイッターの新機能といい、Facebookのタイムラインの調整問題といい、表向きは利用者のための改善施策としているけど、その実態は多分に管理側の事情・都合によるものだったり、酷いレベルの思い違いだったりして、【ウェブサービスの「機能向上」の大部分は利用者にはマイナスである法則】の話が改めて思い返される次第。

今件指摘されている「見たくない相手をブロックしても、自分がフォローしている人が公式RTしてしまうと、自分のタイムライン上に現れてしまう」という無理矢理なやりとり促進的な雰囲気がボンガボンガと覚えさせられる。そりゃあやりとりが活性化すればするほど便宜性は高まるし、表示機会が増えるから広告出稿の機会も増えるし、ねえ。

ただそれが得てして利用者側にはネガティブなものとなる。そのあたりをもしかすると、いや多分、技術面が多分に先行している運営サイドにおいては、利用者マインドってのまで把握しきれていないんじゃないかなあ、という感じがする。


まさにこの指摘通りなんだよね。FacebookにしてもGoogleにしても、技術系の企業は得てしてこのあたりが弱い気がする。今件事例の場合なら「そんなのかまわん。俺様ルールで使う奴だけ来ればいい」ってことなんだろう。そりゃあ利用しなくなった人に、利用者を対象とせざるを得ないアンケート手法による調査をすることなんてできないからね(「インターネットをしていないのは何故ですか」という問いを、インターネット経由で行うようなもんだ)。

技術面で突っ走ればそれでOK、むしろ利用サイドの思惑など考えないのが善だ、という考えは、それがそのままストッパーもかからずに進んでいくと、いつの間にかあるべき道を外れてしまうんじゃないかな。少しずつ、でも確実に。例えばGoogleの場合は「Don't be evil」こそがその暴走を押しとどめる社是であったはずなんだけど、そしてそれこそが進化を暴走させない大切な柱であったはずなんだけど、な。

「初心忘れるべからず」。各ネット系サービスはこの言葉を思い返してほしい。

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このページは、不破雷蔵が2014年9月13日 08:04に書いた記事です。

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