歴史を学ぶきっかけって何でもいいのよね、要は

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先行するお話で「ゲームで戦争を知ろうとするな、ちゃんちゃらおかしい。現場に来い」という、自前の職業を否定するような話をされたお方の件で、ちょいと派生的な話を。「艦これ」をトリガーとして戦争を勉強してみた、歴史を学んだという人に批判的な方が多いのは否めない。特に権威的な肩書や経歴を持つ人に多い。もしかすると自分の権威を否定されるようなプロセスで学ぶことに、反発を覚えているのかもしれない。

でも上記の指摘の通り、それって結局ゲームや漫画といったエンタメ分野への見下し(「ミクだし」と誤変換して噴いた)がモロに表れていて、好き嫌いはともかく、尊敬するには値しない姿勢とは表現できる。


そういうこと。こんなツッコミをされて、正直に自分の実情を語れる方がどれだけいるのか。自分が否定しているきっかけを自分自身も持っているって人も多分にいるんだろう。ちなみに当方は、歴史に関しては実家にあった親の書物と、コーエーの歴史シミュレーション、システムソフトの大戦略、そして当時のG.A.M.の「太平洋の嵐」がきっかけ、というところかな。さらにさかのぼればボードゲーム(ウォーゲーム)もあるし、関連書の収集も大きな要素だけど。


先の「ジャーナリストが報道を否定する」みたいに、ゲームで戦争を賛美しているのではと主張する人は、結局上の指摘の通り、その発言自身がゲームと現実の区別をつけられていない、残念な人であるとの主張をしている......とも読めるわけで。

この類の発言って、口頭で聞き流しをすると「ああそうかも」で終わるんだけど、ネットで記録として残ると読み返されて検証され、矛盾があちこちに潜んでいることが分かってしまう。そのあたりを理解していないのかなあ、という感じもするんだな。

いいじゃん、きっかけは何だって。人生の糧になる知識の集積への一歩を踏み出させてくれたのだから。それにそのきっかけ自身そのものも、別に悪い事ではないんでしょ?

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このページは、不破雷蔵が2014年10月 3日 08:02に書いた記事です。

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