「御嶽山の噴火で死亡が確認された47人の方全員の人となりをご紹介」って偶発的な事故じゃないですか。人となりとはまったく関係ないよね。逆にいえば、偶然天災に遭っただけでどうしてこんな「晒される」ような目に遭わなければならないんでしょうか。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2014, 10月 4
先日の【御嶽山災害、今報道がやるべきこととは】や以前の自殺報道周りでも触れているんだけど、こういう類の話を聞くと、どうしても下種な回答しか出てこないのよね。純粋な災害報道としては必要性が無い、あっても低いもので、むしろ指摘の通り、災害・天災にあっただけでなぜ本人や周辺の人が「晒される」羽目にあわねばならないのか、そしてそれを成す報道は正義の御旗を立てつづけることができるのか。
この手の偶発的な災害での犠牲者の人となりを伝える報道、もし犠牲者が人間のクズを絵に描いたような人間だったらどう報じるんだろう
— dragoner@C86金曜西く32a (@dragoner_JP) 2014, 10月 4
朝日新聞だけじゃなくNHKも噴火被害者の葬儀をガンガンにニュースの2番目のとかのプライオリティでやってんだぜ?
この「当事者意識」に寄り添うとかいう愚行なんとかしろよ。
知り合いでもないのに葬儀に参列したがるとかいうのは、今や完全に厚顔無恥じゃねーのか?
— ι゛ョェーゥ (@joejoeu) 2014, 10月 4
まあこれは、葬儀=「公事」と考える背景があるんだろうけど、このプライバシーと「忘れられる権利」の時代によ...。
"何か訴えたい事は"とか訊くんだろ。死ね。そんな商売は無くなっていい。
— ι゛ョェーゥ (@joejoeu) 2014, 10月 4
芸能人の結婚披露宴の中継と全く同じメンタリティじゃねえか。慶事なだけわずかにマシというレベルだわ。
— ι゛ョェーゥ (@joejoeu) 2014, 10月 4
野次馬根性や心の奥底にある「優越感を充足させるための、相対的に不幸な人たちの情報を欲する」というダークな部分(人の不幸は何とやら)を満足させて視聴率をゲットだぜ、的な発想しか出てこない。まさに芸能界のお話と同レベルにまで、事件、事故、災害報道をおとしめている。ニュースのワイドショー化という話も十分に納得できる。
他方、このような意見もある。災害そのものの印象を深く刻ませるには、その背景を知らしめたほうが良いというものだ。
もちろん、プライバシーというか、もうちょっと広い「知られない権利」みたいなものってきちんと検討されなくていけないと思うのだけれど、自然災害の死者が物語を付与された存在になるの、非人道的な「収容所」みたいなところで収容者が名前を奪われ番号で呼ばれることの対極にある話ではあるんだよな
— えいちえむえす・ゆりしーず (@hms_ulysses) 2014, 10月 4
あともうひとつ、我々は名前と数字だけの出来事をすぐに忘れてしまうというの恐らくあって、まず死を悼み、そして行政が対策したり個人で個人覚えておいて後で何か教訓を得たりするためには、受容しやすい物語が付加されていたほうが覚えていれるのじゃないかなあと思う。
— えいちえむえす・ゆりしーず (@hms_ulysses) 2014, 10月 4
これも一理はあるんだけど、この論拠を是としてしまうと、昨年問題視されたアルジェリアの人質事件における、非公開前提だった人質の名前について「弔いになるから」「公にすることで歴史に名前を刻むため」「無念を晴らすため」という、大義名分まっしぐらな、取ってつけたような理由、自己本位のルールでやりたい放題をやってしまう免罪符が無制限に発行されかねない。特に最後の「無念を晴らすため」云々ってのはまさに、「犠牲者の数だけでは不十分で」という、上記の指摘の理由と同じ話が悪用された事案だからね。
いや、だってなぁ...本人をしのぶすがってのはくさるほど増えてるのに、なんで家族や遺族から聞き取って新聞屋が再構成した「俺」がわざわざ新聞読者何百万人の目に残されねばならんのか。という違和感はどんどん強くなりつつある。
— 糸畑要 (@boreford) 2014, 10月 4
47人全員の「人となり」を調べるのって、相当周囲を嗅ぎ回って裏取りしないといけないけど、それによりどれだけ故人・家族のプライバシーが流出するんだろうか。マスメディアがGoogleみたいなIT企業のプライバシー侵害を批判的に報道してるが、少なくともITは個人の周辺人物に情報は出さん
— dragoner@C86金曜西く32a (@dragoner_JP) 2014, 10月 4
さっきも呟いたけど、大事件で故人の1人が何の人間的美徳も無いクズだった場合、「人となり」を伝えるのはどうするかって問題。嘘か美的に書いたら捏造だし、その故人だけ言及しないのもおかしな話だし。いちいち犠牲者全員の人格紹介してたら、いずれはこういう問題に当たるか当たってたはずなんだが
— dragoner@C86金曜西く32a (@dragoner_JP) 2014, 10月 4
そして、大災害の場合、情報の錯綜などで「死んだ事になってたけど後から生存確認」なんて人も実際いるわけで、そこで個人が周知してほしくない情報が報道されてたら、その報道被害はどう補償されるのか
— dragoner@C86金曜西く32a (@dragoner_JP) 2014, 10月 4
現時点で判明の47人全員の遺族が同意、とはちょっと思えないです RT @masa_koz: 遺族の意思に反して人となりが報道されるケースってあまりなくて,ほとんどはむしろ書いて欲しいという意思を示した結果出てきてるんじゃないですかね。実名報道は同意の有無に拘らずやるのでしょうけど
— dragoner@C86金曜西く32a (@dragoner_JP) 2014, 10月 4
例えばさ、登山犠牲者の1人の女性の写真、高校の卒アルと思しき写真が報じられているけどさ、この人30代だよ。現在の同僚や家族に取材と同意を得たなら、もっと直近の写真も提供されただろうけど、高校の写真じゃ出身校調べて同期生に接触して卒アルから写真拝借してきた程度の取材じゃないですか。
— dragoner@C86金曜西く32a (@dragoner_JP) 2014, 10月 4
恐らくはずっと前から同じようなことが繰り返されてきたんだろうけど、そろそろ既存のパターンに当てはめて「楽して読者や視聴率ゲットだぜ」「イヤだけど仕方がない」「見たくないなあ」というのは幕引きにしたい感はある。特に上に挙げた昨年のアルジェリアの事件において、「例えダメだと、ストップがかかっていても、報道側の勝手ルールで大々的にそれを破り、しかもそれを正当化する」という手法が平気で行われるのが分かった以上(「また朝日か」とは言わないでおく。アルジェリアの件も朝日新聞がトリガーだったけどね)、その想いは強い。
リソースは有限なんだし、もっと他に優先すべきことがあると思うんだけどな。消費税周りであれだけ「首が回らない」と声高に語っているんなら尚更。
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