もう「ドナーカード」ならぬ「メディアカード」が必要じゃないかとマジで思い始めた。死後、自分の情報や生活の様子をメディアに広く公開されることを拒むか拒まないか、予め自らの意志を表明しておかないと、万が一があった時に何晒されるかわかったもんじゃないわ...
— akoustam (@akoustam) 2014, 10月 4
病院などで配布されている、自分が突然命を落とすような事態に陥った時、自分自身の臓器を移植に用いても良いですよと生前から第三者に分かるように表明しておくための「ドナーカード(臓器提供意思表示カード)」。これの対メディア版として「メディアカード」を作るべきではないかという提案。先行する記事で触れた、「災害被害者、犠牲者のプライバシーを明かす必要がメディアにあるのか」という問題に絡んだ話。発想としては興味深い。
法的拘束力......というか法的解釈の上で有益な(遺言の一種と解釈される)ドナーカードと異なり、仮にメディアカードが創られたとしても、法的な意味合いがあるかどうか、無ければつけられるか否かという問題がある。一方で対象者本人が亡くなった場合だけでなく、意思疎通が一時的に難しい状態になった際にも、用意しておくことで意思表示が出来うるというメリットもある。
一方でこんな指摘もある。
無視される気が致しますね...親族が止めてくれと頼んですら、公開するような連中ですし。そのカードに法的効力があるなら別かも。 >RT
— Akiko (亜希子) (@AmarJapon) 2014, 10月 4
法的な効力がなきゃ無意味だろうなぁ。申請して記録した上でカード持つとかそういうやり方で。連中、「メディアカード」をわかりやすいところに着けてたら外すくらいするんじゃない?って思う程度には信用度下がってる
— 桶庵 (@sininenkuumeri) 2014, 10月 4
特に信頼度云々の件は、先行記事でも触れているけど、2013年頭のアルジェリアでの人質事件において、「弔いになるから」「公にすることで歴史に名前を刻むため」「無念を晴らすため」という、俺様ルールを盾にして、暗黙の了解、はては関係者との約束を反故にしたという前例を作ってしまっているからね。いわゆる「狼少年」モードとなってしまった。これは仕方がない。これに関して全面的な謝罪と状況改善のための施策の立案と実施に関する公での発表があれば、まだ期待もできるんだろうけどさ。
まぁ、周知啓蒙活動として「メディアカード」をデザイン化するということは悪くないかもしれないけれども。メディアスクラムお断り、的な話も合わせて。
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