評価する側は「文句が無いから何も言わない」=「良い」と思ってるけど
受け取る側は「何も言ってもらえない」=「ダメだった?」という
価値観のすれちがいからくる不幸なわけで
解決するにはやっぱり評価側が
良いと思ったことを言葉にするしかない
それだけでも色んな人が救われると思うです
— KOU@Shantae新作10月配信予定 (@SESKOU) 2014, 10月 8
先日の【だれにでもある、と言われている「認知のくせ・ゆがみ」のお話】に関連しそうな話。漫画家先生のお話ではあるんだけど、何らかの創作物を作る人には共通の悩みどころかな。評価をする側は文句のつけようが無い、マイナスとなる部分が無いから何も言わない、それが良い評価を意味すると思っていても、作り手側、つまり評価を受ける側は「何も言ってもらえないってことはダメだったのかな?」と考えてしまう。だから悪いところは悪いと言うのと同じように、良いところは良いとちゃんと言葉にして伝えてほしいというもの。
これって結構難しいのよね。ネガティブな意見ってのは結構文言にしやすいし、伝えたくもなるけど、良いものって自分で満足しちゃって作り手には伝えにくい。良い作品を自分の知り合いなどに口コミで知らせることは良くあるんだけど、なぜか当事者には伝えないことが多い。なんでだろう。料理を食べた時に何か問題点があった時にはお店の人を呼ぶけど、とても美味しくても滅多に褒めるために呼ぶことは無いのと同じなのかな。あるいは褒める行為自身が苦手なのかもしれない。
よく旦那や友人にネームや漫画見せて「いいんじゃない?」と漠然に褒められると「ダメだったか...」と思っちゃう
— 津留崎 優 (@hatori_niwatori) 2014, 10月 8
具体的に「ここが面白かった」と言ってもらえる回は個人的にも出来のいい回だったりするからみんな結構素直
— 津留崎 優 (@hatori_niwatori) 2014, 10月 8
料理で何かを作ってもらう際に「何でもいい」と答えてしまうとか、何故その商品を好きなのかを聞かれた際に「何となく」と返事してしまうとか、漠然とした包括的なイメージで答えられると、咀嚼されていないなと思ってしまうってのは良くわかる(子供の読書感想文での「よかったと思います」「僕もそうだと思います」と同じってところか)。良くても悪くても具体的なポイントを指摘されると、少なくともその部分は目を通した、理解したってのが確認できるからね。
でも、自分の素直な感想が、作り手の方々の糧(かて)になるのだとしたら、評価をする側も何となくやる気が出てくるというもの。少なくとも当方はそう思うな。
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