若者の○○離れ、自分の例で言うなら、えげつない量の労働が押し寄せてきてぼくを全てのものから遠ざけてるだけだから、週休2日と賃金上昇っていうたったこれだけのことで、若者は何からも離れなくなるんだよな
— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2014, 10月 3
【クルマからスマホへ...若者のパートナーの変化】でも言及している通り、情報取得手段が多様化して情報量が桁違いに増えたり、娯楽の類も多種に及ぶようになり、それぞれが深い楽しみ方を満喫可能となるなど、ライフスタイルの大規模な変容、そして価値観の変化によるところも大きいのだけど、若者の生活様式が変化して省エネ・節約志向を強めるに連れて、中堅層以降、特に団塊の世代は(自分達の若者時代と比較する形で)「若者の●×離れ」という言い回しを多用する。その言い回しの裏には「離れてないでもっと対象物を使え、買え、消費しろ」という地団駄踏みぶりがあるのだけど......
結局のところ、指摘の通り、今の若者にはこの二つの、お金と時間が欠けている。さらにいえばお金が欠けているからこそ、時間を費やさねばならなくなる(共働き世帯の増加も結局のところ、多分に専業主婦では世帯の支出を賄いきれないってのが多分な原因だし)ので、リソースとしてのお金が足りないってのが最大要因。
あえて言うのならこれに加えて、「将来生活が豊かになる」という希望も必要かな。頑張っていれば明日は今日より豊かになれる、その夢があるからこそ、今日が苦しくても我慢できる。でも今はシニア層に職を奪われお金を奪われ様々な機会を奪われ、肩身の狭い想いをさせられている。そのシニア層からは「お前らに明日は無い」とまで宣言をされることもしばしば。それでは「若者の●×離れ」が進むのも仕方がない。食事を奪っておいて「空腹で倒れるな」と逆切れするようなもの。
具体的な方策をこの場でぽんっと提示出来るほど問題は簡単では無いけれど、根本的な「若者の●×離れ」の解消手段がこの「週休2日と賃金上昇」の実現にあるという指摘は、あなが間違っていないのではないかな。
......もっとも仮に賃金上昇、つまり可処分所得の増加と自由にできる時間が増えたところで、「若者の●×離れ」の「●×」に若年層が戻ってくるとは限らないけどね。「若者のちょんまげ離れ」ってことで、賃金などを上げても、若者がちょんまげをしはじめることはないでしょ? つまり、「●×」の部分がすでに時代遅れになっていて、リソースが増えた所で消費対象にはならない可能性も多分にあるってこと。
例えば「若者の自動車離れ」。仮に若年層に「駐車場の優遇措置」「車検代・燃料費補助」「新車購入の際に公的大規模補助」というダイナミックな施策が取られ、そして賃金がどーんとアップしたとしても、乗用車に若者が戻ってくるとは考えにくい。電気自動車とか、軽自動車はさらに増えるだろうけど。トレンドそのものの世代交代的シフトが起きている状況を認識しがたく、「若者の●×離れ」を使っている面もあるのではないかなあ、という気がする。
コメントする