他人が作ったものを自分で作ったと言ってチヤホヤされてる若者が最終的に殿様の目に止まって目の前で作るはめになり、嘘がばれて首斬られて死ぬ的な昔話を子供たちに読み聞かせておけばちょっとは世の中平和になると思うんだ
— Shu※@秋M3_F10b (@kihanmoto) 2014, 10月 13
ツイッターやFacebook、そしてブログなどにおける盗用コンテンツの使用目的は大きく二つ。「自分の価値を他人の成果で底上げしたい、目立ちたい」「苦労せずにコストもかけずに金儲けをしたい」のいずれか。時に双方ともって場合もあるけどね。
後者の場合は多分に「自分がしてはいけないことをしている」ことが分かっているので、世間一般的に使われる方での「確信犯(悪い事と知ってやること)」、前者は本当の意味での「確信犯(自分がやっていることは悪くない、正しいことだと信じてやること)」。前者の場合はネット経験が浅く、世の中の仕組みそのものをも含めてあまり修得していない場合が多いので、啓蒙ってのが結構役立つ対象ではある。今からでは遅いかもしれないけど、今後のことを考えれば、ね。
で、そういう啓蒙のための昔話を創ってはどうかという話。元々昔話の多くは道徳的なことや世の中の仕組みを教えさとす意味が多分にあるのだから、この発想はまったくもって正しい。すでに【現代落語「パクリが大好きなパク左衛門に訪れる最期とは」】なんて話も出来ているし。「まんが日本昔話」ならぬ「まんが日本IT話」でも銘打って、色々なルールや暗黙の了解を物語化して伝えるってのは面白いかもしれないな。
ただ、パクリはいけないという問題に限れば、すでにはなさか爺さんとかこぶとり爺さん、おむすびころりんがその類に近いような気がする。
昔話って案外、デジタルが浸透した現在においても、規律規範という観点で考えると、必要なものなのかもしれないなあ。
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