これまでほとんどいなかったのだけどついに出現した.私の講義の最中に,板書をスマートフォンで撮影する受講生.
どうしたらよいのか分からなかったので,撮っているあたりにたってピースしてみた?
— Iwao KIMURA (@iwaokimura) 2014, 10月 14
当方の大学時代にもカメラやビデオで板書を撮影してメモ代わりにするという話はちらほら見聞きしたけど、やはり記録のために事前許可されたものでなく、学生が「面倒だから」とばかりに撮影するのはアウトというのが暗黙の了解&見つかった時の対処だった。で、昨今ではスマホが浸透してデジカメも安くなってるし、動画機能もついてるし、となれば......という状況なので、やはりというか当然というか、こんな事態が起きている。で、今件の場合はお茶目にもカメラ内に入ってピースしてみたよ、という大学の中の人のお話。昨今ではデジカメ機能の解像度も上がってるからねえ......。
講義全体をビデオで撮ろうが板書をカメラで撮ろうが、学生は自由だろうとは思う(勝手に配布してはいけない)。昔からあるノート代行がデジタル化したようなものである。クラスごとにシケプリ委員みたいなのがある大学の話も聞くし、学生たちが手分けしてプライベートサーバー立てれば良いだろう(続
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
ただ、実際には「数学」という科目の性格上、ビデオを見たり、板書のカメラを見ても、おそらく身につかないだろうと思う(私も講演スライドをデジカメで撮ったりすることはあるが、ほとんど見ないゴメンナサイ)。ラジオの語学講座を録音しても、溜まったら聞かなくなるのと似たようなものである(続
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
講義はライヴと同じと私は思っている(これは教師としてプロではない、という批判もあろう)ので、その時限りの一期一会である。教師の言葉を聞き、リアルタイムで板書に写す、そこから学生達の反応をフィードバックして、即座に講義のペースを変えていく...流れは、ビデオには映りにくいだろう(続
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
講義資料をレジュメにして配る、Webに置くというのも私は行ったことがあるが、それを読んでくれる学生が多いのならいいのだが、そうでない現状で講義を組み立てているところがある。1,2年向きの数学なら独習に向いた教科書も少なくないが、それを読んで自分で勉強する学生など少ないのである(続
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
ビデオなり板書を中途半端な撮影はおそらく勉強の役に立たずに「ライヴを隠れてビデオ撮影する」くらいに雰囲気を壊してしまうような気がする。撮影するなら、学生達には徹底してサーバー立てるくらいまでやって欲しいし、学生達がそうしたくなるような講義ができなくて御免なさい、とも思っている。
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
(なお、「これまでほとんどいなかったのだけどついに出現した」ということを揚げ足とってる人がいますが、板書の撮影行為については過去にTLで何度か話題になっていたことがKimuraさんの頭の中に残っていて、それが自分の目の前で始めて起こったのだろうと解釈しています)
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
@KasugaTaro 実演を見て、それを自分の手で真似てみる、というのは教育効果は高いと思います。正面でスライドが映し出され手元に印刷物があるのは、新商品のプレゼンみたいなものには有効なのでしょうが、板書ノートに替わる教育効果が出るのか、教育の専門家に聞いてみたい気はします。
— Paul Painleve'@JPN (@Paul_Painleve) 2014, 10月 16
板書の写メを撮る事,ダメとは言いませんけど,音はでないようにして頂きたいです.
あと,これが普通になって,受講生がみんな写真を撮るようになったら,話している方はどうしているでしょうね.邪魔にならないように教卓の下でうずくまっている? :)
— Iwao KIMURA (@iwaokimura) 2014, 10月 16
サーバー立ててデータ共有化云々という話になると必ず悪だくみをする人が出てくるだろうし、だったら学校側でデータ提供した方が早いじゃん的なことになって本末転倒になるからそれはさておきとして。講演会の類は大抵が撮影不可で、しかもその議事録というか内容のテキストおこしの全文公開は認めないのが大部分であることもあわせ(大手サイトが昔トラブル起こしたこともあったっけ)、ライブ感の強調、後で反復できない情報を受けることによる緊張感と「覚えよう」という必至な意気込みってのは、大切だと思う。データ化して手元に残してしまうと、その時点で安心しちゃって逆に覚えなくなるんだよね。
二つほど身近な例を挙げると、テレビ番組の録画がまだメジャーで無かった頃、リアルタイムでの番組視聴におけるテレビ視聴と、後で再生が出来る今の「フルタイム録画可能」状態とでは、どちらが本放送での熱中度や記憶に残る度合いは上だったかな。もう一つは、試験対策の際に資料や過去問を手に入れたり、欲しかった模型やフィギュアを手に入れると、その時点で満足してしまい、そこから先をしなくなってしまうって経験はないだろうか。
背水の陣......というと少々ベクトルが異なるけど、緊張感こそが、勉学にしても趣味趣向にしても必要な要素の一つなのかもしれない。
そりゃ確かにデータが残っていれば便利なことに違いないんだけどね。便利だと、その状態に満足してしまって怠けてしまうのも否定できないんだよな。
で。今後大学などはこの問題について、どのような対応を示していくことになるのだろう。ちょっと気になる所ではある。まぁ、自分の講義をオープンソース化して動画をアップロードするところも増えているけどね。それはそれでありがたい話ではあるのだけど。
コメントする