嘘で塗り固めた危険をアピールしたところで、それが嘘ならまったく説得力がないんだよね。勉強不足としか言いようがないけど、嘘の知識で満足しちゃっているからなあ。
— sis_sis (@sis_sis) 2014, 10月 16
直前部分にはオスプレイの日本国内における運用に関する言及と、それに反対する勢派の主張がことごとく論理的に首を傾げるようなもの出来ているということへのツッコミがあるんだけど、それは個別対象を挙げているので省略するとして。【「徴兵制」「軍事大国」「若者が前線に」...分かりやすく目立つ言葉で釣る、煽動とセンセーショナリズム手法】などで説明したような「ウソでもそれっぽい組み合わせや論調で声高に語れば本当だと信じてくれる人がいるだろう」的な、相手を見下しているような主張をする人もいるけれど、ウソで構成されたものは説得力が無いよ、というお話。勉強不足とはあるけど、「勉強した結果出てきた結論では、自分達の主張を曲げねばならないから無かったことにする」「自らの主張にプラスとなる意見が見つかれば、それが事実っぽくない話でも事実として認定してしまう」のいずれかではないかなあ、と。
この国では言論の自由が認められているので、何を言おうと基本的には自由です。しかし、調子に乗って嘘をつきまくっていると、それは最終的に自身の信用問題となって跳ね返ってきたり、致命的なレベルで突き刺さることもあるので注意が必要。自身の言葉で自滅する自由もこの国では認められています。
— sis_sis (@sis_sis) 2014, 10月 16
で、何度か指摘はしているのだけど本当の自由ってのは、それに必ず連動する形で責任や義務がついてくる。自由を振り回すだけというのは、単なる自由奔放。レストランで食事をして料金を払わないようなものでしかない。責任が無いと誤解していると、じきにその責任が利子を伴って降りかかってくることになる。いや本来はそれが必然でなければならないのだけどね。
見た目は立派な建物でも、その住宅の土台部分が手抜き工事ならば、その住宅を買う人は居ない。ただし、土台部分を隠したり、手抜きであることが分からないようにすれば、少なくともそれが気がつかれるまで、あるいはその実態が明らかになるまでは、住宅には注目が集まり、購入してしまう人がいるかもしれない。で、実態が暴露されれば施工側は当然しかるべきペナルティを受ける。構造的にはそういう手抜き工事の事案と同じなのかもね。
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