「お金で買えないものはある」は「お金で買えるものをあって当たり前」と勘違いしている

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「お金で買えないものもある」という表現はよく使われるけど、それは同時に「大部分のものはお金で買える」ことでもあり、さらに「お金があれば、従来お金では直接手に入らないものも手に入りやすい環境が整備されることも多々ある」ということをも意味する。今件は「お金で幸せは買えない」という話に対し、「それはお金で手に入る幸せはすでに手にある、存在して当たり前のものである」と考えているのではないかと反論している。

...よく考えると、ちょっと方向性が違うような感はあるけど(「お金で幸せは買えない」は「お金で幸せは(一切)買えない」であり、「お金で幸せは買えない(もの、場合もある)」では無いからね)。そのあたりが歯車のかみ合わせに齟齬が生じている感はあるけれど。指摘されていることは大体あってる感。

幸せになるための環境整備は、お金で大体かなうことができる。それをあって当たり前のものだとして存在そのものを空気のように感じてしまっていると、その大切さを認識から外してしまう。そしてむしろないがしろにして、「お金で幸せは手に入らない、だからお金よりも大切なものがある」と語り、さらにお金そのものを否定してしまう。でもそれって間違っているよね......的なことを言いたかったのではないかと考えると道理は通る(そもそもツイートは140文字しか使えないし、多分に「つぶやき」だから、ツイートした後で「あれ、なんかちょっと間違ったかも」なんてのは良くある話。普通の書き込みだってあるぐらいなんだから)。

指摘されている要件は、大よそ社会を支えるインフラ周り。これらも皆、人々の対価、つまりお金で賄われている。それを忘れてしまうと、お金で買えない幸せまで失ってしまう。幸せは欲しい、でも対価は差し出したくない。そんなワガママを通そうとすると、対象はそれこそブラック企業になってしまう。

そもそも「お金」ってのはさまざまなサービスや労苦の代替した物差しであるということを考えれば、この辺りの話はすぐにでも理解できるとおもうのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月21日 07:06に書いた記事です。

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