海外記者や権威ある肩書へのコンプレックスと信奉的なまでの鵜呑みと

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今件に関してはあまりにものソース上の胡散臭さに気が付いた人が多く、あっという間にフェードアウトしてしまったのだけど、さっと広まった際に感じたのが、この指摘。これまでも何度か触れているけど、肩書を信奉して中身の検証をせずに信じ込んでしまったり、さらには「海外からの配信だから」というだけで100%事実のお墨付きを勝手に与えてしまうという事案が結構あって頭を抱えることになる。

海外も日本同様に多種多様な意見や論調はあるし、電波な話を掲げているところもある。「海外は全部正しい」ってことになると、たとえおかしな話でも、その話に近しい海外の話を持ってきて「この外電も語ってる。だから正しい」とやらかしてしまう(ECRRが好例)。新聞記事ですらそうなんだよね。日本の新聞同様。記者によっては。有名な事例だとNYTの田淵記者などが有名かな。


大よそ指摘の通り。日本は特にこの類の「権威コンプレックス」「海外コンプレックス」が強いのかもしれない。開国と戦後、二度に渡りさまざまな文化が海外から入り込んだという歴史的事実が多分に影響しているのだろうし、権威に関しては「和を重要視する」という本質から「立場的に上にある人には絶対に逆らわない、疑問すら呈してはいけない」という考え方を無意識層に持ってしまっているかもしれないな。

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このページは、不破雷蔵が2014年10月22日 07:43に書いた記事です。

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