「疑問視する見解が出ている」「波紋を呼びそう」「問題となりそう」「議論を呼びそう」も「それは世間が、ゆるさない」「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」と同じですねネ。あと「国民」とか「市民」 http://t.co/zL3NjM9F2d
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 10月 25
先日の【「それは世間が、ゆるさない」「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」】の話。。改めて文豪と呼ばれる人たちの表現力の凄さと、「人間失格」が例の表紙版で売れたのは表紙はあくまでもきっかけであり、その内容に吸い込まれた人も多かったのだろうな(そりゃ青空文庫でも読めるけどさ)と改めて思わせる次第なんだけど。以前設定していたグーグルのニュースアラートでたまたま「疑問視する見解が出ている」の検索対象結果がメールで送られてきて、設定画面にアクセスしたら「疑問視する見解が出ている」「波紋を呼びそう」「問題となりそう」「議論を呼びそう」などの言い回しが設定に入っていた。ああ、以前も似たようなことを感じて、設定していたんだっけ。
自動設定で特定のフォルダに投げ込まれていたメールを読み返すと、やはり政治的に対象の問題を特定できない場合をはじめ、報道側の意図が強い記事において、「世論をそちら側に向けさせたい、誘導したい」ような場面で良く使われている。あとは検索結果が多すぎるので設定は無意味だけど「国民」「市民」もよく結構使用されるね。
結局のところそのような使いまわし、記事の執筆の仕方がテンプレート化してしまって、それが当たり前のやり方になってしまっているので、疑問を持たずに使い続けているのだろうな。あるいは意図して「これは便利。自責が問われずに誘導できるぞ」と自認した上で、そしてそれをまるで電子レンジやトースターを使うかのように使いこなしてしまっているのかもしれない。
対象が面白い話や良い結果を生み出すのならともかく(ウソやいつわりが良くないことに違いはないけど)。特定対象をバッシングするのに使うのは、果たして「報道」といえるのだろうか。
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