余りにも馬鹿らしい発言に言葉も無いのですがひとつだけ。
なんでもかんでも「国際基準」とやらで否定出来るものではないんですよ。RT @mas__yamazaki: 「日本はすばらしい国」「世界から尊敬されている」等の自国自賛本が書店に氾濫する国が、国際基準では「男女平等で先進国最低
— こな蜜柑ちゃんpot (@reirei_pot) 2014, 11月 2
突然このツイートが発せられたわけでは無く、当然トリガーとなる別人の話があるわけなんだけど、そちらは「引用」の範囲にあっても本人にとっては本意ではないと思うのでパス(確認したい場合は上記ツイートの大本から元のツイートをたどってほしい)。要は日本賛美の話に関して「国際基準で日本は劣っているから、賛美している話はばかばかしい。かなり恥ずかしい話だぞ」とドヤ顔基調で語ったことに関して、「国際基準」ですべてを語るのはお門違いではという反論。
まあ、大よそ同意。自虐的過ぎるのは単なるおバカな感がある。
なんてことはない、ただただ、今までのおサヨク様とリベラル様による「日本ネガキャン」に対する反論と反動が出てきただけにすぎませんね。
加えて「国際基準」云々などといくら宣おうと、「日本が素晴らしい」とする意見への反論にはならないんですよ
@mas__yamazaki
— こな蜜柑ちゃんpot (@reirei_pot) 2014, 11月 2
日本は素晴らしい、日本はよくない
両論成り立ちますよ。
よくない部分に目を向けないのも問題ですが、悪い所にばかり目を向け、かつ「だから日本はダメだ、日本が好きな奴はダメだ」で結論してしまう方が余程不健全、不健康、不毛ですね。
@mas__yamazaki
— こな蜜柑ちゃんpot (@reirei_pot) 2014, 11月 2
リベラル云々という思考単位での仕切りはさておくとして(あまりそういう仕切りは好きではない)。良い所取りをしてドヤ顔するのも、悪い所取りをして自虐主張をした上で「こういう指摘が出来るボクちゃまはカシコイ」とするのも、耳を傾けるのですら時間とリソースの無駄な感がある。常に併記するのは難しいけれど、良いところは良い、悪いところは悪いとケースバイケースで語れば良いだけの話。
特に「国際基準」って言葉が用いられると、一切の反論が許されない雰囲気が支配しているのが問題。むしろ「国際基準」を免罪符として振りかざして切りこんでくる手法は、過度の権威主義的なところがあり、肩書主義と同じで困りものなんだよね。その前には論理的思考や数理的実情が吹き飛ばされてしまうから。要は感情論と同じで「国際基準」を振りかざせば、何でもあり的な感じになってしまう。その基準が正しいか否かってのは二の次、三の次となる。
「正しいか否か」という点ではダブルミーニングとして、ね。1つは「その内容が論理的なものなのか」、そしてもう1つは「本当にそれが国際基準なのか」。後者においては良く調べたら世界規模でも少数派だったり、そんな話そのものがほとんど存在しなかったなんてことも良くある話。
具体的な事例は挙げないけれど、その「国際基準」というオールマイティカードの前に、色々と吹き飛ばされた側の経験者は語る。ある分野では大きな業績を上げて論理的に物事を推し進める著名な方ですら、この「国際基準」のカードを用いて無理押しをして来ることもあるからなあ。
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