責任追及が大好きな雰囲気では、ヒヤリハット届なんて誰も出さないっす。それを出したら損するのがわかってたら、出したがらないのは当たり前。
— 山猫 だぶ (@fluor_doublet) 2014, 11月 3
前に、実験してた時は、「事故起こしたら、どんな事故でも、その後同じ実験できないからねー」と言われてた。そんなところで誰がヒヤリハットの届なんて出すだろうか。
— 山猫 だぶ (@fluor_doublet) 2014, 11月 3
当然、死人が出るとか、火事で消防を呼ぶとかのシビアアクシデントが出るまでは、「きわめて順調に運用」されてたことになる。
— 山猫 だぶ (@fluor_doublet) 2014, 11月 3
色々な説明の仕方があるけれど、重大な事故、問題に至りそうで何とか回避できた、事前で止めることができた状態を、「ひやっとした」「はっとした」心境になる場合が多いことから「ヒヤリハット」と呼んでいる(※後で触れるけど、これ厳密にはちょっと違う)。要は重要事案の一歩手前の状態、事象。このような状況をしっかりと分析し、回避することで、事故を事前に防ぐことができ、リスクを減らせるはず、なんだけど......その「ヒヤリハット」はなかなか報告されないというジレンマがある。なにしろ事案そのものが発生していない「ヒヤリハット」においても、報告をすると報告した側が怒られ、糾弾され、罰せられる傾向にあるから。実際の被害も発生させていないのに処罰されるってのは、理不尽すぎる。当然誰も伝えなくなるので、検証もされず事前防備もかなわない。
例えば「この非常階段への扉、さび付いてるので、もしかしたら緊急時に開かないかもしれない」と報告したら「修理費かけて直す必要が生じるだろ、コストがかかる」と怒られ、自分の評価が下げられたら、今後似たような「気づき」をしても報告しなくなる。また怒られるかもしれないから。そして軽減できたはずのリスクは積み増しされてしまう。
責任追及しなきゃいけないからヒヤリハットの提出者の名前と部署を明らかにせよ、という勘違い発言をブチかます人は本当に迷惑。
ヒヤリハットはあくまでもスイスチーズの穴をふさぐための材料であって、誰かを吊るし上げて嗜虐心を満たすための道具ではない。
イビリ好きな奴が勘違いする。
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
嫁イビリの好きな姑かよ!?
と言いたくなりますね>責任追及しなきゃいけないからヒヤリハットの報告者を教えろ、と主張する人
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
ああいう人は「間違いがあったら罰さなくてはいけない」というルールを振りかざして「罰を与える事の優越感」を正当化するから、そこがめんどくさいんだよね。
なんせ根っこにあるのが「優越感を楽しみたい」という限りなく原始的な感情だから、この衝動を抑えろと他人が言っても、なかなか難しい。
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
しかも、「あなたの発言は多分に感情的である。他人を罰したいと言う欲求を満たすために安全対策を使用するのはまかりならん」
という趣旨の注意を与えても
「感情的になんかなって無い!!!」
という極めて感情的な反論が返るのが常。
いや、他人を罰したいと言う動機が感情的ですから。
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
ヒヤリハット報告は「報告者を罰してはならない」。それがルール。
でないと報告が上がらなくなるから。
もっとも、現状ではなぜ報告させるのかもちゃんと考えないままにやらせてる側面があるのが問題の一つ。
「ここを改善しておかないと、そのうち事故になりそうです」
という報告なんだよね。
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
だから、「あ、危なかった...」という『ヒヤリ』に、「あれ、これ改善しとかないとまずいんじゃ!?と気が付いた」という意味で『ハッと』という言葉が組み合わされている。
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
スイスチーズ(いくつものエラーがたまたま重なったために事故になる)の例えは聞いた事ある人が多いんだけど、「ヒヤリハット報告は、そのチーズの穴を一つづつ潰すために使うんだよ」というのはあんまり浸透してませんね。
だから、報告者が委縮しても困るわけ。
— KGN (@KGN_works) 2014, 11月 3
上で「ヒヤリハット」の意味を書いたけど、むしろこちらの説明の方が合っている。「ヒヤリ」として、その上で気づきの「ハッとする」という意味。こちらの方がプロセスとしては理解しやすいし、啓蒙の上でも正しく認識されるね。
ヒヤリハット報告しても、それが責められ、低評価に繋がる、という事になるなら、当然誰も報告しない。
結果、その危険性は放置される事になるから、大事故になって犠牲者が出るまで放置される事になる。
ヒヤリハット報告者を吊るし上げるという事は、そういう危険性を高める事でしか無い。
— タクラミックス (@takuramix) 2014, 11月 3
責任者追求に躍起になってるだけじゃ、問題は解決しない。
ミスや失敗に直面した奴らを吊るし上げるだけで問題が解決するというなら、全世界の全ての人間がいずれ吊るされて、誰も地面に足をつけて歩けなくなり、宙ぶらりんの姿で喚くだけの姿になる。
真っ先に、吊るしたがりがそういう姿になるさ。
— タクラミックス (@takuramix) 2014, 11月 3
「ヒヤリハット」の件に関してはまさにそう。責任者云々ってのは極論として必要が無い。今後に役立てればいい。問題となる重要事案そのものはまだ起きてないのだから。むしろしっかりとした報告をした場合は、高く評価しても良いぐらい。将来生じ得る損失を抑えるきっかけを与えてくれたのだから。もっとも事象が実際に生じた場合も、同様に「責任者云々」ってのは賛否両論。これについては今件とは別の話なので触れないでおくけどね。
ともあれ、「ヒヤリハット」は蓄積されることでより高い価値を生み出す、意義が生じることになる。その蓄積を得るために、工夫が必要なんだろうな。
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