某TV制作会社から「祭」と「待つ」を語源的に関連づけてコメントしてほしいとの依頼。「関連はありますか」ではなく、既定路線らしい。「古文献にはありますが、関連は薄いのでは」と返事したら、それきり連絡が絶えたのは失礼だと思う。「所さんのニッポンの出番」を見る時は盲信しないのが吉です。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2014, 11月 2
@IIMA_Hiroaki こんにちは。類似経験があります。「○○病で○○な番組を作りたいのですが、その経験はありますか?」「○○病でそんな人まずいませんよ」
テレビとは「始めと終わり」を先に決めて「間」をでっち上げるコンテンツなのかと、信頼が一段と薄れました。
— 彩 (@aya_promenade) 2014, 11月 3
定期的に番組を制作配信していく以上、効率的なものの作り方をするのは仕方がない、ましてや製作費がボンガボンガ削られていく昨今では、時間のかかる「紆余曲折」「リサーチしっかり」的な作り方など出来るはずがない。まして「楽できてコストも減らせるステキ方法」を見つけたら、それを繰り返し使うっていう学習をするのは当然の話。そのような事情があるから、、テレビ番組の制作の上でも「はじめに結論ありき」「その結論を裏付け、箔をつける専門家のコメントを求める、しかもタダで」「意見が合わなければ、はいそれまでよ」的なプロセスを踏んでしまうのは、ある意味仕方が無い......というか「進化」の結果といえるかもしれない。恐らくはこれまでも同じようなロジックで番組制作がなされてきたんだろう、というのは容易に想像が出来る。
でも以前【「情報よこせ」「報酬無し、クレジットも出さない」と下請け会社に命じるかのように要求するディレクターの話】などでも触れたけど、第三者から見れば理不尽極まりない、そして成果物(この場合は番組)の質を疑われてしまうような内情も、昨今では容易に露呈してしまう。
同じ制作会社が作っている番組なのか不明だが、テレ東の所ジョージの番組スタッフに同く嫌な目に遭わされた事がある。何度もしつこく電話して最終的にただ働き。別の週でも同じ様に雑学をただで聞こうと電話してきた。 @IIMA_Hiroaki
— 杉村喜光(知泉)新刊好評発売中! (@tisen_sugi) 2014, 11月 4
所ジョージ本人には罪はないのかもしれないけど、それ以降、所ジョージを見ると嫌な気分が蘇って来るので、所ジョージの番組は見なくなってしまった。
こっちは図書館などに通って文献に当たるのに、制作会社は電話&ネット検索で楽して番組作ろうとしてんだろうなあ。
— 杉村喜光(知泉)新刊好評発売中! (@tisen_sugi) 2014, 11月 4
でもアホな制作会社も、安易な方針で番組を作っていると、すぐにネットで晒されてしまう時代だって事を理解した方がいいと思うよ。
— 杉村喜光(知泉)新刊好評発売中! (@tisen_sugi) 2014, 11月 4
昨今の自然災害に絡んだ取材方策でも良く指摘される話だけど、これまでは当事者以外は知り得なかった舞台裏ってのが、容易に不特定多数に見られてしまう時代なんだよね。プロセスそのものが簡便化したけれど、それがオープンであることを忘れて、あるいは気が付かずに、これまでと同じ姿勢・態度を見せてしまう。ある意味「視覚化」とでもいうのかな。
「制作会社は電話&ネット検索で楽して番組作ろう」って言い回し。これっていわゆるまとめサイトと同じじゃん? と思ったのは当方だけではあるまい。もちろんすべての番組制作会社がこんなものではないのだろうけどね。
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