上司がめんどくさくなってる時は、話の主語がなくなって、何を見て話しているか分からないのでそれを察するところから始まるのだ・・・。
— 森人 (@morihito88) 2014, 10月 30
語っている本旨は同じでも、主語で大きな変化を見せる、印象を変えることがある。心理学的な話では「アイメッセージ」と呼ばれるもの。語り手本人を主語にすることで、その発現に語り手側が責任を持つことになり、それが相手に柔らかな印象を与えてくれることになる。例えば「あんた、バカぁ?」は相手を主語にしているのでダイレクトになるけれど、「そんなばからしいことをしていると、私も悲しくなるのよ」とすると、随分と柔らかな表現になる。
見方を変えると、言い回しの主語は内容の軸を持たせ、意図をある程度明確化させることができる。逆にいえば、主語が無くなることで、なんとなくぼやけた、軸が無い、ふらふらとした内容の印象が強くなる。さらに語り手の視点が明後日を向いているとなれば、その話の内容には重きを置いていない。少なくとも感情は加味されていない。
見方を変えると、この表情部分の判断が出来ないからこそ、インターネット上のやり取りでは、意志の齟齬は生じやすくなるともいえる。アイコンタクトやジェスチャーなどで構成される「空気」が読みにくい、とでも言うのだろうか。特に馴染みの浅い対象だとつかみにくい、とらえどころが難しい場合が多い。
他愛もない話ではあるけれど、【だれにでもある、と言われている「認知のくせ・ゆがみ」のお話】で触れている認知のくせやゆがみの話とあわせて考えると、色々と思い返すところが出てくるというものだ。
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