話の主語が無くなって、視点が定まらなかったら「興味が無い」「面倒くさい」なシグナル

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語っている本旨は同じでも、主語で大きな変化を見せる、印象を変えることがある。心理学的な話では「アイメッセージ」と呼ばれるもの。語り手本人を主語にすることで、その発現に語り手側が責任を持つことになり、それが相手に柔らかな印象を与えてくれることになる。例えば「あんた、バカぁ?」は相手を主語にしているのでダイレクトになるけれど、「そんなばからしいことをしていると、私も悲しくなるのよ」とすると、随分と柔らかな表現になる。

見方を変えると、言い回しの主語は内容の軸を持たせ、意図をある程度明確化させることができる。逆にいえば、主語が無くなることで、なんとなくぼやけた、軸が無い、ふらふらとした内容の印象が強くなる。さらに語り手の視点が明後日を向いているとなれば、その話の内容には重きを置いていない。少なくとも感情は加味されていない。

見方を変えると、この表情部分の判断が出来ないからこそ、インターネット上のやり取りでは、意志の齟齬は生じやすくなるともいえる。アイコンタクトやジェスチャーなどで構成される「空気」が読みにくい、とでも言うのだろうか。特に馴染みの浅い対象だとつかみにくい、とらえどころが難しい場合が多い。

他愛もない話ではあるけれど、【だれにでもある、と言われている「認知のくせ・ゆがみ」のお話】で触れている認知のくせやゆがみの話とあわせて考えると、色々と思い返すところが出てくるというものだ。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月 7日 08:04に書いた記事です。

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