「ツイッターでマイナーな漫画の話をする→エゴサした作者や担当の人にふぁぼRTされる→気恥ずかしくなって二度とツイッター上でその作品に言及できなくなる」というパターンがままあるのでそういった行為はマーケティング戦略的に悪手だということを理解してほしい
— いりじゃこ (@Howlin_Puppy) 2014, 11月 6
当方も好きな作風の漫画、あるいは注目している作品の漫画を送り出す先生方のツイッターアカウントをフォローしたりリストでチェックして、そのつぶやきを色々と読んだり楽しんでいるけど、中には積極的に自分の作品に言及したツイートを公式RTしたり、返事をされる方もいる。作品への感想を第三者に公知したい、指摘されている点に同意している、返事をするためにやり取りが分かりやすくするため披露する、色々と理由はあるだろうけど、作品の最期のページにありがちな読者コーナー的なモノを読んでいるようで興味深い。
一方で上記指摘にあるように、そのようなエゴサーチ(自分の名前や作品名など、自身に関係のあるキーワードで検索をすること)で見つけたツイッター上での表現に「お気に入り」「公式RT」、さらにはレスポンスは、された側が気恥ずかしくなるので止めるべきだとの意見がある。
......まぁ、そういう人もいなくはないだろうけど、マーケティング戦略云々っていうレベルの確率に値するものではないし、むしろそれをしないことによって失われうる便益のことを考えると、許容できるものではないかな。
むしろこのような効用をこそ、創り手側は待ち望んでいるのかなあ、という話を。
ちなみに「マイナー作品だけどツイッターで検索したら言及してくれた人がいてしかも褒めてたツイート」を発見した作者や担当編集者の脳内には祝福の鐘がリンゴーンリンゴーンと鳴り響き金色の紙吹雪が舞い散って未来への活力が漲りまくり背中から翼が生えて最終的に星座となって地球を見守ります。
— たられば (@tarareba722) 2014, 11月 7
なお「マイナーな作品を手がけたことがない作家さん」は存在しません。手塚治虫先生だって鳥山明先生だってマイナー作品はあります。そして知りうる限り、自作のエゴサをしたことがない作者や担当編集者に会ったことがありません。つまり! 祝福の鐘を鳴らすかどうかは! どんな時も! 皆さん次第!
— たられば (@tarareba722) 2014, 11月 7
そう、あの鐘を鳴らすのはあなた。 >>公式RTs http://t.co/PDaSX2Bzzg http://t.co/xo2S2lMDy0
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 11月 7
「星座になっ」たら死んでまうやんという野暮なツッコミはさておき。作者側の受け取り方にもよるのですべてがってわけではないけど、やはり自分が通常では知り得なかった場所で、自分の作品に関する言及があり、それが自分にとってプラスとなるようなものなら、そりゃ嬉しいに決まってる。まさに「あの鐘を鳴らすのはあなた」の歌詞そのものなんだよね。
だから作者サイドはどんどん「お気に入り」をするべきだし、読み手はボンガボンガ感想を書き連ね、それをお気に入りされても気にすることはまったく無い。気兼ねする必要もない。むしろラッキーだと思うぐらいの心構えが必要。だってほら、昔なら感想をハガキに書いて編集部に送ったところで、それがちゃんと作者の目に触れているかどうかなど、確認のしようがなかったじゃん(そりゃ基本的に作者は全部目を通しているけれど)。それを確実な形で自分自身が確かめられるんだよ? これだけでもスゴイ話に違いない。
まぁ、こんな感じで周囲のリアクションを知れるようになると、こんな考えも頭に想起されることもある。
どんな仕事でもどれだけ長く働いても、「自分はこの仕事に向いてないんじゃないか」と思うことがあります。恐らくこの先ずっと続けても、「自分はこれに向いてた」と確信し続けることはないでしょう。ただ長く続けると「向いてるか向いてないかを決めるのは、自分ではない」と気付くことは出来ます。
— たられば (@tarareba722) 2014, 11月 7
当方は漫画家ではないけれど、やはり似たような感はある。同時に、それでも「自分はこれに向いている、向いているはずなんだ」という強い意志が必要だな、とも思う。周囲に気づかせてくれること、そして自分自身の強い意志。この双方があって、はじめて長い蓄積が可能になるんじゃないかな。
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