漫画家の方々のエゴサーチ、そしてそこから見出される福音とは http://t.co/rY34eDzmdx
「エゴサーチ」なんて言うから後ろめたい行動のように捉えられてしまうんだ。名付けた人を呪う。発した情報がどのように評価されているかを知ることは発信者の務め。受け手側も然り。
— 水崎皓平(AQアニメーション) (@koheimizusaki) 2014, 11月 8
先日【漫画家の方々のエゴサーチ、そしてそこから見出される福音とは】で伝えた、漫画家をはじめとするクリエイターの方々が、自分の作品名や自分自身の名前を検索ワードとして用いて検索し、感想などをチェックすることは良くあるよ、という話。自分に深く係わりあいのあるキーワードを検索対象としてリサーチする方法を一般的に「エゴサーチ」と呼んでいるのだけど、その表現の仕方がよろしくないのでは、という指摘。まったくもって同意。
エゴサーチは元々英語の「egosearching」から来ている......んだけど、どうも英語だと「Egosurfing」(エゴサーフィン)の方が主流で、他にグーグリングユアセルフやエゴグーグリングなんて表現もあるみたい。もっとも意味合いは同じで、名前やハンドルネーム、自前の創作物名などを検索エンジンで検索して、リサーチなどの行為を意味する。「エゴサーフィン」は1995年にSean Carton氏がWiredの記事の中で用いたのが初めだとされている。
で。元々「ego」ってのは自分自身を意味する言い回しであり、そこには利己主義とか傲慢的な個人主義とかいった、悪い意味は無い。日本語の「エゴ」っていうと多分に「egoism」的なものを意味しているけど、この「egoism」も元々は自分自身のみが確実に存在するという意味があり、そこに「利己主義的」な意味も含まれるだけの話。だから本当は「エゴサーチ」ってのは「セルフサーチ」と同じ意味で、むしろそちらの方が日本語としては良かったのかもしれない(セルフグーグリングという言い回しは海外にはある)。
日本語の「エゴサーチ」の元となった「egosearching」にしても「Egosurfing」にしても、悪い意味合いはまったくない。それがそのままカタかな読みとして日本に入ってきたら、エゴの部分の日本国内での印象が悪かったので、エゴサーチも悪い印象を覚えるようになってしまったという次第。
......今後個人的に「エゴサーチ」という言葉を使う時には「エゴサーチ(セルフサーチ)」と表記しようかな。
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