「何を言わないか/何をRTしないかが大事」というのは、不思議なほど人のネガティブな部分を増幅してしまう(一対一、一対多の関係でもそう)ツイッターで暗黒面に陥らないための、自制・自律の智慧なんだけどね。 #何か見たらしい
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) 2014, 11月 9
エアリプしない、対象をぼかしても言及しない、思わせぶりなコメントも匂わせることもしない。とにかく一切沈黙したままやりすごすのは非常に大きな自制心を必要としますが、それが必要な場面は結構ある。
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) 2014, 11月 9
ツイッターは元々SMS(ショートメッセージサービス)を基にしたシステムなだけに、操作系とか表示周りがチャットみたいなものに見えるけれど、構造的には小さなブログ+RSSの読み込みのを工夫したもので、書込み一つ一つはブログに違いない。鍵をかけた状態でつぶやかなければ、その内容は全世界に知られうる。この辺の事情も普通のブログやサイトと同じ。LINEなどのチャットは家の中での戯言、ツイッターはブログ同様に街中でのおしゃべりと思えばよい。
にも関わらず、操作が簡単で一入力あたりの文字数が少ないこと、他人も皆同じように独り言をつぶやいているように見えるので、ついつい第三者は見ていないだろうなあ、という潜在意識レベルでの錯覚に陥ってしまう。滅多な事じゃツイートする時に校正なんてしないよね。頭の中に思い浮かんだ内容を、そのままサクッと打ち込んでツイートしてしまうこと、結構あるよね? 気が付くと、「それ、他人が知っても良い内容だったかな?」的なことまで語ってしまう場合がある。まぁ、人には露出願望......というか見せたがり屋的な要素を多かれ少なかれ持っているのモノなので、それが露呈しただけなのかもしれないけれど。
指摘されてふと振り返ると、ツイートしたことで多少の自己満足は得られたかもしれない、ほっとした気持ちになれるかもしれないけど(他人に知ってもらえた、という心の奥底に潜んでいるであろう解放感も合わせ)、それが色々なトラブルの要因になる可能性もゼロでは無い。難しいかもしれないけど、気を付けねばならない話ではある。
まあ、「王様の耳はロバの耳」における地面の穴のように、愚痴を書き記す専用のアカウントを鍵付きで作るという手もあるんだろうけど......それはそれで不毛な気がする。可視化という点では有効なんだろうけどね。
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