「感動」とリスクをはき違えた悪い例。キツイ表現ですけど、はっきり評価しますヨ......羽生さんの奇跡のスケーティング~東日本大震災を乗り越えた強さと、被災者を思う優しさ(児玉 克哉) - Y!ニュース http://t.co/qpFlRL4qLA
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 11月 9
先日の羽入選手のスケーティングにおける事故と、その後の無理をした上での競演継続について。頭部への打撲が生じていることもあり、たとえ本人がそれを望んでいても、関係者は絶対にそれを認めさせてはいけないし、周囲もその無理をした継続演技を賛美してはいけない。心境的に、個人的にそのような感情が沸き上がるのは仕方がないとしても、それを否定はしないけれど、第三者が敬意を払う、権威として言葉の内容に上乗せをしうる肩書を持つ人が、ニュースの公知場所のような、不特定多数の第三者が見聞きする場所で語り、内容を喧伝するのは、決してやっはいけないこと。それをドヤ顔語りで行うとは......
ちょうど今開かれている「日本臨床スポーツ医学会」とリンクさせての記事→
羽生選手に「感動」するだけでよいのか? 誤ったスポーツ観が選手「生命」を奪う 脳震盪後、1日は安静に #BLOGOS http://t.co/S4GWBp5h8Y
— 宮城タカオ (@takmyg0306) 2014, 11月 9
無理をおして頑張りました、というのに感動を覚えるというのはいい加減にしてほしいなぁ。
熱中症でも野球やってすがすがしい、とか他人の将来を削って喜んでる連中みたいで嫌い。
— 坂本正幸 (@sakamotomasayuk) 2014, 11月 8
本人の選手生命どころか命そのもののリスクすら大いに懸念されるし、この行為を肯定してしまうと、今後似たような状況で大事をとって、常識的な判断で競技継続を断念しようとしても、それが難しい環境が雰囲気的に作られかねないし、断念した後でのバッシングの理由づけになる可能性も出てくる。そういうことは絶対にさせちゃいけない。大の大人がドヤ顔で肯定しちゃいけない。幸いにも同じ場所で、競技継続による「感動」評価に対する批評記事が別の方によって展開されていたので、まだマシだけど。
それ、人の命を浪費させた上での感動の押し売りですよ?
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